食べる以外の生きる糧


本を読むゆとりのある人は幸せだと思います。病院での長い待ち時間やバス・電車等の長時間移動には気に入った本を持って行きます。

 

俺は一度読んだマンガやドラマなどを再度見直すことは「つまらないし、時間のムダ」だと成人するまで思っていました。18歳の頃に、小学生の従兄弟が同じマンガを何度も読んで笑っているのが不思議で「毎日同じ本を読んでいて面白い?」と訪ねました。 従兄弟は「だって面白いもん」と一言。

それから何年もの歳月を過ぎ、俺は大怪我や大病をした時に、幼い従兄弟の言っていた意味が理解できました。「笑うことだけが面白いわけではない・もう一度読んでみたい見てみたいと思わせる単純でありながら純粋な説明できない何かが人によって違うのだ」ということがあるのだと。

小学校のときに食べた給食の味を突然思い出して「どうしても食べたい」と思うことと同じだと思いました。主食は毎日食べても飽きないのに、副食が毎日同じでは飽きてしまう。毎日読まなくても、繰り返して時々読みたい…という本が、画像の本。

毎日、聖書やコーランに目を通して生きる人にとっては、それが主食と同じかそれ以上の存在であるのだろう、それが羨ましい。俺にはそういった精神の主軸がないのでいつも迷いながら歩いている感覚がある。 旨いか不味いか?を感じるのは百人百様。本が色々な意味で面白いかどうかを感じるのも同じこと。ここ数年の俺の聖書・コーランは画像の本なのだろう。2月に入ると本格的な作業が始まり、読書する時間が格段に減ってしまう。

振れずに真直ぐ愚直に真実を追い続けるそんな農仕事がまた始まります。

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