稲荷信仰と百姓2


個人で稲荷さんを祀る家はどのくらいあるのだろうか。我家で稲荷さんを正式に祀ったのは祖父の代からである。「正式に」というのは理由があるのだ。昭和11年頃まで我家の敷地には大昔からの社(祠)があったのでそれを管理していたのだが、我家の敷地の一部を買い取った渡邊さんが「西軍上陸の地の石碑」を建立した際に祠も石碑の一部として移設したという。「西軍上陸の地の石碑」で初午旗が立つ理由である。

我家で稲荷さんを正式に祀った理由は、元々、地域の稲荷さんを管理していた事。戊辰戦争の際に長岡藩が家屋を焼き払った時に「殿様が信濃川を渡る際に休憩される家だから火をつけてはならん」として戦火を逃れたこと。第二次世界大戦の長岡空襲の際も家族全員で水を掛け続けて3発の焼夷弾が落ちたにもかかわらず消火し、焼けなかったこと。それらの理由と百姓として豊作祈願から稲荷さんを祀ったといいます。

親戚や知人から寄進された大きな鳥居が3つ。

長岡空襲の時は、我家を含めて周囲に数軒の家屋が焼けずに残っただけで、長岡市内の建物がほとんど焼け落ちました。そのため我家からは、1キロメートル以上も離れた長岡駅まで見通せたといいます。先祖や祖父が自宅周囲に多くの木を植えていたことも延焼から免れた理由だと思います。戦後に親戚のお寺さんに稲荷さんを祀るよう勧められて小さな祠を建立したといいます。

夕方、5色旗を燃やします。灰や煙が高く上がるほど良いと云われていますが安全面から火の粉防止はシッカリしています。

叔父が話していたのですが、我家の稲荷さんは「重兵衛狐」と云われ、白狐だったとのこと。神様に結び付けるには無理がありますがオカルトではありません。中島地区は江戸時代から信濃川の河畔・中州であるので狐・狸・ムジナ(アナグマ)などが民家に巣食っていたそうです。我家に巣食っていた野生のキツネに偶然アルビノ(色素欠乏)が生まれたのだと思われます。新潟県には熊・狸・狐のアルビノの記録や剥製などがあります。

平成4年の夏だったと記憶していますが、奥只見の銀山平という山奥にイワナ釣りに行ったときの事です。早朝に北ノ又川の駐車場で釣りの用意をしていた時、白い犬が近寄って来たので「こんな所に犬がいるなんて…誰かが連れてきたのかな」と思って、弁当から唐揚げを取り出して目の前にやると、犬は立ち上がって手から食べるのでした。妙な感じで飛び上がる犬だなぁ…と思いながらも、「目の色が青くて体が細くて尾が太くて長い変な犬だね。」なんて話しながら友人と2人で弁当の唐揚げを全て食べさせたのでした。それから30分くらいは俺たちの後をついてきましたが、いつの間にかいなくなりました。お昼に寄った銀山平の食堂でそのことを話すと「そら、白狐だわ。その狐がそこまでしたなんて話、初めて聞いた。運がいかったね(良かった)」と言われてビックリ。 その年の釣り雑誌にその白狐の記事が載っていました。

不思議なことや偶然を宗教や信仰に繋げたがるのは非常に危険なことで俺は嫌いです。農業は自然科学の世界ですが人は全てを制御できません。自然への畏敬の念や感謝を決して忘れないこと、歴史や先人の苦労を伝統として正しく伝えることの、ひとつの手法文化として風習と文化を変えないで守るのは大事なことだと思います。

 

 

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