冬の2尺玉花火・雪しかまつり


自宅2階から手持ちで撮影したブレブレ画像

花火の打ち上げがあることをスッカリ忘れていました。寒さの中、土手まで行く元気がなかったので自宅2階から手持ち撮影です。提灯のように並ぶ光は某営業所の看板です。

今年からなのか前からなのか知りませんが、今年の長岡市の「雪しかまつり」のラジオ広報では、「雪しか」という名前が屋号である旨の説明が入っていました。食品を保存するための雪山…というのは間違いではありませんが正しいとも言えないようです。元々は養蚕のカイコの卵が孵る時期を調節するための雪山であったのが、様々な用途に使われるようになったのですから。米百俵の故事のある教育都市を宣言しているならラジオ広報の税金分をもう少し上手に教育的にも活用してほしいものです。

来年からでも長岡市らしく「雪にょう・雪にお」まつり、と改名したらと思います。長岡では稲藁を高く積み上げて保管したものを「藁にょう・藁にお」と言っています。言葉の文化を残すのも教育です。

中島地区での雪にょうの場所は、水道町1丁目の場所にありました。この雪にょうを作っていたのは「雪穴組合」という組合組織だったようで、我家の顧客として売掛帳に名前が記載されています。長岡市内には3箇所の雪にょうが作られていたといいます。時代背景と組織(個人・会社)などによって活用方法に違いと変遷があるようです。雪しかの歴史を調べるキッカケは、中島巾着ナスと中島地区の農業の歴史と雪にょうの歴史と関係があるからでした。そして、この説明を詳しく教えてくださったのが今井先生です。

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