大正14年頃のナスの呼び方


長岡市で唯一の百姓の売り掛け帳であるはず。ナスの呼び方。

大正14年、8月の売り掛け帳である。丸に漢数字の十が書かれているのは「まるじゅう商店」のロゴ。祖父、眞十郎は野菜百姓だけでは生きて行けなかったので苗や酒・味醂・野菜・漬物・味噌・農業用品などヨロズ屋的な店を開いて兼業百姓であった。この時代には梨ナスは導入されていない。大・中・小のナスで区別していた。二冊の売り掛け帳が存在するが、通しで見て、品種明記はない。大ナスは中島巾着であろう(丸ナスと呼称するようになったのは後年からか…)。小ナス・中ナスというのは、中手(中生・なかて)と云われる長岡では、江戸時代から栽培されていたナスのことであるのは確実。なかてナスは現在も中島巾着や長岡巾着ナスを栽培していると1本の木すべてに中長(卵形)のナスが成るが、これが江戸時代のナスであると父親や中島の先輩百姓から教わった。 味噌漬ナスは日付から生ナスの可能性も否めないが、我家では自家製味噌を製造販売していたので長期保存の中島巾着の味噌漬ナスである可能性が高い。なお、この味噌樽と豆挽き(煮・蒸大豆を磨り潰す機械)は倉庫に現存している。

本日の作業は梨ナス収獲・トウ菜の畝割り。畝割りとは畝巾と畝間の線引き作業のこと。

釣り用リールに水引糸を巻く。一定間隔で直線畝を立てるために糸を張り、糸の上を歩いて足跡の上をトラクターで畝立てする。

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