カテゴリー別アーカイブ: 信濃川

歴史ある中島の雪野菜

降雪後の雪中野菜は甘味と旨みが増すのは有名です。大根もニンジンも葉物野菜も折れやすくなります。我家には昭和2年の「雪の中の野菜を販売していた」貴重な資料が現存します。もしかしたら新潟県で一番古い雪中野菜の販売記録かもしれません。

本日はブロッコリーと白菜を収穫してきました。

積雪は10センチ以下。ブロッコリーの茎に鎌の刃先を当てるだけであっさり折れてしまうのです。
雪国ならではの味わい。今年のは、吹雪やアラレを受けていないのでキレイです。
F1・一代交配のブロッコリーに混じっていた。??の野菜。たぶんブロッコリーとカリフラワーの交配種…メーカーさんどうなってるの?と訊きたくなります。
ブロッコリーとの比較。??の野菜の赤いのは鳥のフンです。
白菜の収穫後、除雪用スノーダンプに載せて移動。

爪先がジンジンする作業です。雪の下になると美味しくなる野菜。我家の先祖はそれを越後長岡の、冬の市(いち)に立って販売していたのです。昔は藁靴に蓑と菅笠。今は画像のように道具は良くなりましたが、味は今も昔も変わりありません。 信濃川の恵みの大地と厳しい冬が与えてくれる美味しい雪野菜。

雪しかまつりの語源と蜻蛉

今年も冬の花火、2尺玉の打上筒が設置された。「雪しか祭り」の夜の楽しみとなっている。夏の3尺玉よりも近くで見ることができるので、迫力も音も3尺玉より数段上に思える。

冬の風向きは西から東へ向かうときが多いので、観覧するなら対岸が良い。音と光が降って来る。水面と雪に照り返る様は夏花火よりも風情がある。

今年の夏に歴史家であり元小学校校長の今井雄介先生から電話があった。先生とは5年ほど前からの付き合いであるが、ほとんどが電話での会話である。1時間以上も話していたのだが『雪しか』の話題になった。そのなかで「雪しかというのは本来の名前ではないのに、雪しかまつりなどと名付けているのはおかしい」と言っておられた。理由を尋ねると「雪しかという名前は、雪山を作り保存していた屋号(家の称号)であり、雪しかまつりでは、人の家名前でお祭りしていることになる。本来なら『雪にお・雪にょう』まつり、と言わなければならない」との説明をされた。雪にお・雪にょうの興味深い話を多く聞けた。

ブロッコリー畑。手前(東側)にクルミの大木があるので日陰ができる。

植物に太陽の光が重要である証が、この画像。手前と奥では成長が違う。春と秋に収穫する作物の場合には木陰ができる手前の出来が良い。日差しの強い夏場の休憩場所として伐採しなかったが、この木陰は年々広くなっているので考えなければならない時期に来ている。

落花生掘りの休憩中に数が少なくなった蜻蛉を撮影。すぐ逃げるので大変。

1ヶ月前のトンボ。4枚羽を観察すると時間を忘れてしまう。葉っぱの葉脈と似ているが飛ぶことを機能的にした構造。設計図があるわけでもないのに軽く丈夫にできているから見飽きない。子供のころは数え切れないトンボが空を飛んでいた。ミシン糸を貰ってトンボの胴体に結んで遊んだり、どれだけ羽を千切ったら飛べなくなるかを実験したこともあった。この赤トンボが密集して飛ぶ場所が限られている。綺麗に畑が耕起されている場所にはあつまらず、草がある場所に集まってくる。

20年くらい前、友人と渓流釣りに行った時のこと、毛鉤でヤマメ・イワナを狙っていたのだが全く釣れない。竿を片手に毛鉤を川に振り込んだO君がキョロキョロして「仕掛けが無いっ!」と叫んだ。見ると大きなトンボが(オニヤンマ)毛鉤を咥えて空高く飛んでいた。トンボを釣った人を見たのは初めてだった。

 

落花生収穫途中。ほぼ自家消費になりそうな量。

10月の画像。とうな・川鵜の群れ

新潟県の春の青菜。トウナの播種。毎年9月上旬から中旬に播種している。父親は「ひゅう菜」と呼んでいたが、呼び名の意味を聞くことなく病に倒れ他界してしまった。誰も気にしない些細な疑問であるが、名前には地域性と歴史が隠されていることが多い。この些細な疑問の答えを後世に正しく残すのが俺の役目だ。

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毎年、種を自家採取しているが、いつの時代からの種なのか6代目に訊くことはできなかった。

6代目が残したトウナ「ひゅう菜」の種は茶封筒に残されていた。そこには「冬菜」と記されていた。昔の越後人は「え」と「い」の発音が逆になったり。「か」の発音は「くぁ」と発したりする。「島倉千代子の人生いろいろ」は『島倉千代子の人生エロエロ』。「色鉛筆」は『エロインピツ』などになる。「菓子」は「くぁし」と発音する。他にも多数、昔の越後人特有の発音がある。長岡の冬は寒い、極寒の日は唇もかじかんで上手く喋ることができないことがあるのだが、こんな時に前述の昔の越後人の喋り。「か」を『くぁ』と発音すると話しやすい。長岡弁は「がぁがぁ」と濁点の発音が多いが、濁音が無い文字の並びによって発音し難い音がある。「ふゆな」の『ふ』も同じく、2文字目の「ゆ」を発音するために「ふ」が「ひ」になり「ゆ」は「ゅ」になったのではないだろうか。「冬菜」を『とうな』とも読むが、6代目は星になっているので解決しないままである。

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歴史を伝えるべく、昔の呼び名を残すために我家では「ひゅう菜」と呼ぶ。

信濃川の鮎の禁漁期は10月1日~10月7日までである。産卵期の鮎を保護するためだ。近年、川鵜が多く、春の遡上期から秋の落ち鮎期まで川鵜の群れが信濃川の上空や水中まで我物顔で荒らしている。漁協組合費も高いままだ。ブラックバスでも食べてくれるのならまだ可愛気があるというものだが。カラスも川鵜も味覚が発達しているのか旨い物ばかり食べる。川鵜に組合費を横取りされている気分である。俺は今年も畑仕事が忙しくて鮎釣りに一度も行けなかった…だから川鵜が羨ましい。全身真っ黒の鳥は頭が良いのだろうか。俺の頭も黒くはなくなり地肌の面積が増えたため頭が回らなくなってきた。貧乏で首も回らなくなってきている。

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河畔林が伐採されたら、信濃川は単なる用水路でしかない。自然のサイクルと昔から変わることのない風景が都市の中心にあってもよいではないか…。セーヌ川や荒川・江戸川ではないのだ。信濃川なのだ。途絶えることのないこの雄大な流れのパワーを発電に利用できないものだろうか。

長芋の生命力

収穫した長芋を丸1年保存しておくと、親芋の養分を吸って子芋が成長するのだ。土に植えていないので子芋は長芋の形に育つことはない。生命力という意味では凄いが、人間世界でいえば「親のスネだけをかじって生き続ける現象」なのである。当然、栄養価は落ちるだろうが肥料も水も与えていない。温度管理も湿度管理もしない倉庫に置いてただけである。

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上部が子芋。ダンボール箱の中に1年入れておくと、蔓が延びて子芋が成長する。親芋は萎びてくるが、親芋・子芋ともに食べることが可能であった。

平成28年の長芋栽培・掘り取り風景。

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台風によって倒れたクネ。根こそぎ倒れて蔓が切れたものは成長が止まった。
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雄キジには格好の見張り場所である長芋のクネ。

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グランドに白線を引くラインマーカーを使って畝の中心に消石灰で位置だし。通常のラインマーカーのタイヤは小さい径なので作業が大変なので、子供用三輪車のタイヤに交換してある。

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白線を中心目印としてユンボで土掘り。手作業で両脇の土を崩して長芋を掘り出す。
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河川敷の畑は地層の違いで昔の信濃川の流れ方と地形が判断できる。川の歴史が地中に眠っている。長い歴史の中で洪水を繰り返してきた証しであり、その度に百姓は貧苦に泣いてきた。しかし、この洪水が野菜を育んできたのだ。

上画像の下部分に砂の層がある。信濃川が洪水で運んできた砂である。

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掘り取り作業のついでに長年のトラクター耕運による岩盤化した耕板をユンボで掘り返して、表面の泥土層と地下の砂層と混合し(天地返し)河川敷本来の土質に戻す。
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探してもなかなか見つからないプラナリア。不思議な再生能力を人間に応用できないだろうか。収穫時に撮影

ビニールマルチの下にちょくちょく見かけるプラナリア。胴体の真ん中を切断すると再生して2匹になるという生態はよく知られている。長芋も幾つかに切り分けて植えつける。似て非なる例えになってしまったが、生物、植物を観察していると時間を忘れてしまい仕事にならない。

長芋掘りに冬眠準備中の生き物を発見

今年の長芋掘りは開始が遅くなってしまった。落花生の作付けを増やしたために落花生の収穫に手間取ってしまい、長芋の収穫開始が大幅に遅れた。毎年のことであるが、長芋の収穫は土中の生物観察と信濃川の堆積具合が観察できるので楽しみである。

長芋をユンボで掘る時に土質と地層が変化していくのだが、場所によって変化があり、堆積した時代と父親や祖父の時代の証言、そして古い時代の地図を裏付けるような地層変化が判るのである。信濃川の蛇行と洪水・流程の変遷によってできた畑の歴史が実際に判るのはユンボで長芋掘りをする俺だけの楽しみ。

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僅か1メートル掘っただけで10センチほどの川原石がゴロゴロ出てくる場所もあれば、そこから50センチ離れた場所はいくら掘っても砂ばかりの場所、かと思えば錆交じりの泥土だったり。いずれも昔の信濃川の流れる方向に沿って層が続いてる。この時期、表土から30センチ程度の間の土中には、カエル・ゲジゲジ・コガネムシの幼虫・ケラ・カナヘビなどが越冬準備して棲息している。気温一桁なので生物の動きが鈍くて観察し易い。カナヘビは土にまみれているが、このほうが恐竜っぽくて俺は好きだ。

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ツマグロヨコバイも残り少ない命を灯す晩秋。
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寒いからスズメバチの巣の撤去も楽々こなせた。幼虫とサナギはゼロ。

長芋をたっぷり入れたお好み焼きが昨日の晩飯だった。食べたい人が作る料理は美味しい…というから、久しぶりに俺が家族全員分を焼いた。長芋料理は年寄りと病人に優しく頼りになる野菜であるが、収穫時の労力は相当なものである。長芋はアルプス系が一番旨い。

カエルと鳥獣戯画の世界

昔は中島地内の砂利道にできた道路の水溜りのあちこちにオタマジャクシがいたものですが、近年では河川敷ですらオタマジャクシを見かけなくなりました。

信濃川河川敷は町の中心部でありながら多くの動植物がいます。レッドデータブックに載っている植物や昆虫も畑の周囲で見かけますし、動物園では見ることができない本来の野生動物の生態を知ることができます。まさにリアル鳥獣戯画の世界があります。絶滅危惧種とは「人間が絶滅に追い込んだものが殆どである」ことを忘れてはいけません。そこから踏み入れてはならない場所、侵してはならない場所があるのです。自然との調和と暗黙の了解を百姓は数世代の経験の中で受け継いできました。植物を含めた生き物のサイクルの一部である人間は、文明発達と開発の中で人間が自然の一部だということを忘れてきました。人間が踏み込まなかったから残ってきた貴重な自然を「感じてみたいから侵入する」ことで最後の聖域破壊がおこります。

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カエルのキーホルダーがこれだけあります。車やトラックにぶら提げてあります。ウサギは転んでいるのが正式なはず。踊っているように見えるのもいい。

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今日は寒かった。こんな季節になるのが恐ろしい。ベイマックス雪だるま。

 

 

梨ナスと安心の証明

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トノサマカエル

カエルがいる畑は安心の証明です。9月3日の日付です。黒系ナシナスの畝です。

カエルの表皮は粘膜で覆われていますから農薬に敏感です。人間にしても消化器系に残留農薬は悪いです。カエルのいる畑は餌が豊富であり、安心の証明ということになります。食物連鎖ということから、カエルを餌にするヘビも住む畑となります。ヘビは畑ネズミや野ネズミも食べてくれます。農業は自然の循環の中心でなくてはなりません。動植物の環境維持を保つためには専門家や河川管理者(国・県)とも連携が必要になります。15年前に比べて役人の「自然保護意識の向上」が飛躍的に感じられました。

畑仕事に疲れたときに植物や生き物を観察します。絶滅危惧種に出合ったり、滅多に出会えない動物の自然の姿や生態観察ができるのが、信濃川河川敷の畑です。長岡市内の中心にあって、唯一昔と変わらない風景と生態系を有する貴重な場所を守り維持する役目も信濃川の百姓は持っています。

トラックの中には、双眼鏡・ルーペを常備しています。

台風と信濃川

昨日、午前中から信濃川両岸の畑の農機と資材の避難をしていました。洪水ですべてを流されてしまったら廃業するくらいの大打撃になります。資材撤収など夜中12:30までかかりました。本日明け方4時ころまでウトウトしながら携帯電話で信濃川のテレメーター水位を気にしていました。

午前8時には水防団待機水位を超えました。午前11時には右岸畑に冠水するまで50センチに迫りました。

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今年8月の水位約15.5メートル

夏の信濃川、川底は削られ、30年前より相当下がってしまったので、畑の浅井戸の水が出なくなった。

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本日午前10時過ぎ水位19.26メートル

信濃川の水との戦いと共生は中島農家の宿命です。平成23年の夜中の増水時には耕運機1台が水没し廃棄。トラクターも半水没し修理しましたが、一度水没した農機具は長く持ちません。昨年処分しました。

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国土交通省のテレメーター水位は頼りになります。

信濃川は流程が長く、流れ込む河川も多いうえに上流の川は標高があります。昔はダムや堰堤がなかったので、長岡市内は晴天であっても、長野や湯沢などの上流部で豪雨の場合は、長岡が晴天でありながら急速な増水と洪水が起きたそうです。 その犠牲になったのが祖父の妹でした。わずか1歳の子が信濃川の急な増水で亡くなってしまいました。信濃川の畑は中州なので高低差があります。下流部の低い場所に寝かされていたら急な増水には気付かない場合もあります。

魚野川のニジマス釣り大会 山本五十六元帥と我家

本日は60km離れた魚沼で毎年恒例のニジマス釣り大会が開催されている…のだが、事務仕事のために参加をあきらめた。画像は今年6月に行われた大会の釣果。50センチが2匹。イワナ・ヤマメなどは今月一杯で禁漁になる。

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事務仕事とは我家の巾着ナスについてと中島地区の農業の歴史を知ってもらうための資料作りである。下画像は連合艦隊司令長官、山本五十六元帥の実姉様からの手紙である。祖母の管理が悪く、封書はボロボロになって紛失してしまったという。元帥の実家である高野家とは北越戊辰戦争で共に戦った関係からか、それ以前からなのかはハッキリしないが懇意にしてもらっていたそうです。祖父の末弟の名付け親が、元帥のお姉様です。「うちは、五十六だから、五十吉にしたらよい」と言われたそうです。そのためではないでしょうが、とても優秀な方で現役時代は新聞の校正などの仕事をしていたそうて、105歳まて新聞の誤字や文法間違いを見つけては新聞社に投書していたといいます。何歳の頃かわかりませんが名前が「五十吉」では都合が悪かったらしく「磯吉」に変えたと言ってました。。。終戦直後に大陸から引き上げてきたというので、新潟県長岡市出身で「五十吉」では進駐軍の目は厳しかったのか…。

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手紙には戦後、関東に引っ越す際、我家の野菜などを餞別に渡したお礼や、引越し先の状況などが詳細に書かれている。進駐軍のことや食糧事情などが簡潔に解りやすく書かれており、さすが長岡藩の名家の女性と頷くだけの達筆な文章です。

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祖父と祖父の弟が2人同時期にツツガムシ病を罹った時の見舞い記録。死亡率50パーセント以上。貧乏百姓の子供では絶対口にできない食べ物ばかり。当時の高級品がずらりと見舞い品として記録されている。「せめて死ぬ前に…」との気持ちが伝わる。

現在も信濃川流域で発生している、風土病のツツガムシ病。中島地区では古くから「島虫・赤虫」と云われる。島とは信濃川の中洲(島)で発生罹患するためである。赤虫とは原因となるダニの一種が赤かったり、刺し口が赤くなるためともいわれている。全身から高熱を出して死に至る。祖母も発病したが風呂桶の中に「雪しか・雪にお」の雪や氷、そして高熱を出した祖母を入れて何度も冷やしたという。30分もしないうちに風呂桶の中が「ぬるま湯」になったと聞く。命は助かったが高熱による後遺症が残った。

長岡に巾着ナスの種を持ってきた女性「小川さん」もツツガムシ病で亡くなっていると子孫の手記が残っている。幼い子供を3人残して…

中島農家は貧しかったので、いつも命懸けで野菜をつくり種と技術を守ってきた。伝統を受け継ぎ伝える意味とは、これらの苦労を知ることから始まる。

毎年冬になるとやって来る土手下のキジ

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冬になり土手下に雪が積もると必ず我家の庭木にやってくるキジ。オスもメスもやって来る。 もう10年近くになるので世代は3交代くらいしているだろう。 冬になると水道タンク近くの河川敷には巨大なオジロワシがやってくるので避難してくるのだろう。 毎年のようにオレは思っているのだ「キジ鍋にして食べて、羽はイワナ釣りの毛鉤にしてやる…」と、だが10年以上実行されていない。