カテゴリー別アーカイブ: 地域の風習・風俗

冬の2尺玉花火・雪しかまつり

自宅2階から手持ちで撮影したブレブレ画像

花火の打ち上げがあることをスッカリ忘れていました。寒さの中、土手まで行く元気がなかったので自宅2階から手持ち撮影です。提灯のように並ぶ光は某営業所の看板です。

今年からなのか前からなのか知りませんが、今年の長岡市の「雪しかまつり」のラジオ広報では、「雪しか」という名前が屋号である旨の説明が入っていました。食品を保存するための雪山…というのは間違いではありませんが正しいとも言えないようです。元々は養蚕のカイコの卵が孵る時期を調節するための雪山であったのが、様々な用途に使われるようになったのですから。米百俵の故事のある教育都市を宣言しているならラジオ広報の税金分をもう少し上手に教育的にも活用してほしいものです。

来年からでも長岡市らしく「雪にょう・雪にお」まつり、と改名したらと思います。長岡では稲藁を高く積み上げて保管したものを「藁にょう・藁にお」と言っています。言葉の文化を残すのも教育です。

中島地区での雪にょうの場所は、水道町1丁目の場所にありました。この雪にょうを作っていたのは「雪穴組合」という組合組織だったようで、我家の顧客として売掛帳に名前が記載されています。長岡市内には3箇所の雪にょうが作られていたといいます。時代背景と組織(個人・会社)などによって活用方法に違いと変遷があるようです。雪しかの歴史を調べるキッカケは、中島巾着ナスと中島地区の農業の歴史と雪にょうの歴史と関係があるからでした。そして、この説明を詳しく教えてくださったのが今井先生です。

稲荷信仰と百姓2

個人で稲荷さんを祀る家はどのくらいあるのだろうか。我家で稲荷さんを正式に祀ったのは祖父の代からである。「正式に」というのは理由があるのだ。昭和11年頃まで我家の敷地には大昔からの社(祠)があったのでそれを管理していたのだが、我家の敷地の一部を買い取った渡邊さんが「西軍上陸の地の石碑」を建立した際に祠も石碑の一部として移設したという。「西軍上陸の地の石碑」で初午旗が立つ理由である。

我家で稲荷さんを正式に祀った理由は、元々、地域の稲荷さんを管理していた事。戊辰戦争の際に長岡藩が家屋を焼き払った時に「殿様が信濃川を渡る際に休憩される家だから火をつけてはならん」として戦火を逃れたこと。第二次世界大戦の長岡空襲の際も家族全員で水を掛け続けて3発の焼夷弾が落ちたにもかかわらず消火し、焼けなかったこと。それらの理由と百姓として豊作祈願から稲荷さんを祀ったといいます。

親戚や知人から寄進された大きな鳥居が3つ。

長岡空襲の時は、我家を含めて周囲に数軒の家屋が焼けずに残っただけで、長岡市内の建物がほとんど焼け落ちました。そのため我家からは、1キロメートル以上も離れた長岡駅まで見通せたといいます。先祖や祖父が自宅周囲に多くの木を植えていたことも延焼から免れた理由だと思います。戦後に親戚のお寺さんに稲荷さんを祀るよう勧められて小さな祠を建立したといいます。

夕方、5色旗を燃やします。灰や煙が高く上がるほど良いと云われていますが安全面から火の粉防止はシッカリしています。

叔父が話していたのですが、我家の稲荷さんは「重兵衛狐」と云われ、白狐だったとのこと。神様に結び付けるには無理がありますがオカルトではありません。中島地区は江戸時代から信濃川の河畔・中州であるので狐・狸・ムジナ(アナグマ)などが民家に巣食っていたそうです。我家に巣食っていた野生のキツネに偶然アルビノ(色素欠乏)が生まれたのだと思われます。新潟県には熊・狸・狐のアルビノの記録や剥製などがあります。

平成4年の夏だったと記憶していますが、奥只見の銀山平という山奥にイワナ釣りに行ったときの事です。早朝に北ノ又川の駐車場で釣りの用意をしていた時、白い犬が近寄って来たので「こんな所に犬がいるなんて…誰かが連れてきたのかな」と思って、弁当から唐揚げを取り出して目の前にやると、犬は立ち上がって手から食べるのでした。妙な感じで飛び上がる犬だなぁ…と思いながらも、「目の色が青くて体が細くて尾が太くて長い変な犬だね。」なんて話しながら友人と2人で弁当の唐揚げを全て食べさせたのでした。それから30分くらいは俺たちの後をついてきましたが、いつの間にかいなくなりました。お昼に寄った銀山平の食堂でそのことを話すと「そら、白狐だわ。その狐がそこまでしたなんて話、初めて聞いた。運がいかったね(良かった)」と言われてビックリ。 その年の釣り雑誌にその白狐の記事が載っていました。

不思議なことや偶然を宗教や信仰に繋げたがるのは非常に危険なことで俺は嫌いです。農業は自然科学の世界ですが人は全てを制御できません。自然への畏敬の念や感謝を決して忘れないこと、歴史や先人の苦労を伝統として正しく伝えることの、ひとつの手法文化として風習と文化を変えないで守るのは大事なことだと思います。

 

 

初午五色旗の御利益

潰瘍性大腸炎の炎症が出てきたので本日は安静にするために寒い出荷作業は休むことにして、家の中で初午の準備をしました。

夕方に小腹がすいたのでカールを食べたら、その中から初めて出ました。

明日12日の初午に立てる五色旗を作り終わって、遅めの休憩をとりながら明治製菓のカールを食べていました。テレビを見ながらカールの袋に手を入れて口に運んでいたのですが、口に入れる瞬間の違和感がありました。今までカールを相当な袋数を食べてきましたが、家族も俺も初めてのことです。良いことの前触れだと思うことにしました。

本日中に糊付け作業しないと間に合いません。

スティック糊だと紙が伸びなくて良いのですが、すぐに乾くので作業性が悪いのでスポンジが先端についているゲル状糊を使います。重ねて4枚に糊を塗ります。

初めての作業ですが、小中学校時代に通知表で唯一、5を取れる科目が図工でした。

色順に紙を載せて接着します。

最上段の吊り下げ部分に厚紙を使います

贈答用ダンボール箱は薄くて丈夫なので中に入れます。周囲に糊をつけます。

折り曲げて接着。

厚紙を入れた箇所の下から木綿糸を通して完成。明日「正一位稲荷大明神」と筆書きして鳥居のところに立てます。