月別アーカイブ: 2017年2月

おかげさまで雪大根完売です。

雪の下にした大根は糖度が上がり美味しいです。積雪のある畑から掘り出した大根でも、降雪直後に収獲してから雪の下になった「囲い大根」としての雪大根は共に美味しいのです。13年位前に地元の大手スーパーの地場産コーナーに「雪下大根」のシールを貼って出荷した頃、まだ長岡で「囲い大根・雪下大根」などの保存した大根を販売している店舗はゼロでした。

囲い保存した大根は、保存の経過時間と共に見た目が悪くなるために認知されるまでに数年を要しましたが、今では「味が良い。旨い」との評価を得ることができました。おかげさまで完売するまでになりました。雪中の収獲風景や保存画像などをポップにしたりしていたのが思い出されます。

この大根の保存方法は降雪時期や降雪具合を予想しながらなので、毎年同じ保存方法ではありません。保存の途中で場所変更や雪を載せたりもします。冬の野菜保存の歴史と経験を受け継いできた百姓の技のひとつです。稲作農家や企業が補助金をもらって野菜園芸に進出してきたのとは土台が違います。「受け継いだ経験と知識を他の農家に教えない」ことが良いことなのか悪いことなのかは別にして、百姓が家業として生き残って行くには、先祖が苦心して受け継いできた技術と知識は企業秘密と同じなのだということなのです。

 

雪の下から収穫

午前中、天気が良かったので雪で覆われた畑に収穫に行きました。

積雪は約40センチ

信濃川の土手から畑を撮影。

「かんじき」

ゴムで装着が簡単な「かんじき」。昔のものは紐だけなので緩むことがありましたが、ゴムの弾力で適度な装着が維持できます。

歩幅が40センチ近くある動物の足跡

この時期のタヌキは民家へ移動していることと、歩幅からキツネだと思います。

ネギの掘り出し作業

俺が子供時代に使って遊んだ45年前のスノーボートに荷物を載せて移動します。昔の日本製品は何でも耐久性が凄いです。ネギ用の荷縛り帯・アルミスコップ・紐を載せてあります。

雪中のネギを抜きます。

2人で役割分担して作業します。百姓は二人三脚、家族一丸となっていなければやっていけないのです。

大根も収獲

糖度計で雪下から掘り出した野菜と、降雪直後に収獲保存した野菜の比較をします。

帰りは行きと同じ足跡を歩いて帰ります。

雪国の冬は天然の野菜保管庫

本日午後6時の画像。

ネギは12月下旬に収穫して、土と根の付いたままネギ用のコモを巻いて越冬野菜として保存したものです。出荷直前・調理直前に外葉を取り除きます。ブロッコリーは1月上旬の根雪の頃に収穫して収穫コンテナいっぱいに詰め込んで軒下で保管していました。葉が多少しなびていますが海外から輸入したブロッコリーよりも新鮮だと思います。

新潟の冬は湿度が多いので野菜が乾燥することがあまりありません。特に雪の中に保存するのが一番良い方法です。自然の状態で保存できるということは、本来あるべき条件と同一なので野菜に負担が無いのですから当然「美味しい時間が長く維持できている」ということになります。1ヶ月以上経過していても鮮度が殆ど落ちていないという自然の恩恵を生かした農業。たった一人の百姓が、雪国の不利な面を利点に変える視点を長年訴えていても行政は見向きもしませんでした。数年前、農政課職員よりも政策企画課職員のほうが雪野菜に興味をもっていたのは皮肉です。少し話題になると行政が出てきて、職員と仲の良い農家ばかりが前面に出るようにする不思議で不公平な長岡市の行政。長岡市と仲の良い特定の飲食店だけがマスコミに紹介されている不公平な裏側を、疲弊している市内の飲食店業者はどう思うだろうか。「〇〇さんは旗振り役だから何が悪いんだ」というトップ職員の言葉。旗振り役だけが目立って店舗をふやしていくだけで、おこぼれすら得られない疲弊している他の飲食店。野菜農家の世界も同じ「〇〇さんは昔から知り合いだし旗振り役だから」という理由で優先的にテレビなどに紹介するのだと言っていた数年前の農政課トップ。 行政のお気に入りだけが美味しい思いが出来て、他はおこぼれにすら与れず。農業において行政主導で勝ち組・負け組みにハッキリ区分けされるという現実。

 

稲荷信仰と百姓2

個人で稲荷さんを祀る家はどのくらいあるのだろうか。我家で稲荷さんを正式に祀ったのは祖父の代からである。「正式に」というのは理由があるのだ。昭和11年頃まで我家の敷地には大昔からの社(祠)があったのでそれを管理していたのだが、我家の敷地の一部を買い取った渡邊さんが「西軍上陸の地の石碑」を建立した際に祠も石碑の一部として移設したという。「西軍上陸の地の石碑」で初午旗が立つ理由である。

我家で稲荷さんを正式に祀った理由は、元々、地域の稲荷さんを管理していた事。戊辰戦争の際に長岡藩が家屋を焼き払った時に「殿様が信濃川を渡る際に休憩される家だから火をつけてはならん」として戦火を逃れたこと。第二次世界大戦の長岡空襲の際も家族全員で水を掛け続けて3発の焼夷弾が落ちたにもかかわらず消火し、焼けなかったこと。それらの理由と百姓として豊作祈願から稲荷さんを祀ったといいます。

親戚や知人から寄進された大きな鳥居が3つ。

長岡空襲の時は、我家を含めて周囲に数軒の家屋が焼けずに残っただけで、長岡市内の建物がほとんど焼け落ちました。そのため我家からは、1キロメートル以上も離れた長岡駅まで見通せたといいます。先祖や祖父が自宅周囲に多くの木を植えていたことも延焼から免れた理由だと思います。戦後に親戚のお寺さんに稲荷さんを祀るよう勧められて小さな祠を建立したといいます。

夕方、5色旗を燃やします。灰や煙が高く上がるほど良いと云われていますが安全面から火の粉防止はシッカリしています。

叔父が話していたのですが、我家の稲荷さんは「重兵衛狐」と云われ、白狐だったとのこと。神様に結び付けるには無理がありますがオカルトではありません。中島地区は江戸時代から信濃川の河畔・中州であるので狐・狸・ムジナ(アナグマ)などが民家に巣食っていたそうです。我家に巣食っていた野生のキツネに偶然アルビノ(色素欠乏)が生まれたのだと思われます。新潟県には熊・狸・狐のアルビノの記録や剥製などがあります。

平成4年の夏だったと記憶していますが、奥只見の銀山平という山奥にイワナ釣りに行ったときの事です。早朝に北ノ又川の駐車場で釣りの用意をしていた時、白い犬が近寄って来たので「こんな所に犬がいるなんて…誰かが連れてきたのかな」と思って、弁当から唐揚げを取り出して目の前にやると、犬は立ち上がって手から食べるのでした。妙な感じで飛び上がる犬だなぁ…と思いながらも、「目の色が青くて体が細くて尾が太くて長い変な犬だね。」なんて話しながら友人と2人で弁当の唐揚げを全て食べさせたのでした。それから30分くらいは俺たちの後をついてきましたが、いつの間にかいなくなりました。お昼に寄った銀山平の食堂でそのことを話すと「そら、白狐だわ。その狐がそこまでしたなんて話、初めて聞いた。運がいかったね(良かった)」と言われてビックリ。 その年の釣り雑誌にその白狐の記事が載っていました。

不思議なことや偶然を宗教や信仰に繋げたがるのは非常に危険なことで俺は嫌いです。農業は自然科学の世界ですが人は全てを制御できません。自然への畏敬の念や感謝を決して忘れないこと、歴史や先人の苦労を伝統として正しく伝えることの、ひとつの手法文化として風習と文化を変えないで守るのは大事なことだと思います。

 

 

初午五色旗の御利益

潰瘍性大腸炎の炎症が出てきたので本日は安静にするために寒い出荷作業は休むことにして、家の中で初午の準備をしました。

夕方に小腹がすいたのでカールを食べたら、その中から初めて出ました。

明日12日の初午に立てる五色旗を作り終わって、遅めの休憩をとりながら明治製菓のカールを食べていました。テレビを見ながらカールの袋に手を入れて口に運んでいたのですが、口に入れる瞬間の違和感がありました。今までカールを相当な袋数を食べてきましたが、家族も俺も初めてのことです。良いことの前触れだと思うことにしました。

本日中に糊付け作業しないと間に合いません。

スティック糊だと紙が伸びなくて良いのですが、すぐに乾くので作業性が悪いのでスポンジが先端についているゲル状糊を使います。重ねて4枚に糊を塗ります。

初めての作業ですが、小中学校時代に通知表で唯一、5を取れる科目が図工でした。

色順に紙を載せて接着します。

最上段の吊り下げ部分に厚紙を使います

贈答用ダンボール箱は薄くて丈夫なので中に入れます。周囲に糊をつけます。

折り曲げて接着。

厚紙を入れた箇所の下から木綿糸を通して完成。明日「正一位稲荷大明神」と筆書きして鳥居のところに立てます。

福良スズメ

2月9日午後3時頃

昨日、小学校に招かれての帰途、沢山のスズメが街路樹のプラタナスに群れて鳴いていました。寒さから、体の羽を膨らませて丸く可愛かったので撮影しました。米農家にとっては害鳥ですが、畑作専門の俺には可愛い小鳥でしかありません。親が昔、着膨れした子供や孫を見ると「ふくらすずめ」と言っていたので昨日、広辞苑で調べたら、そのものズバリ、画像のスズメのことでした。

まだ寒く雪が降る時期の新潟県ですが、このスズメたちが集まってチュンチュン鳴く声を聞いているとホンワカとした気分になって「もうすぐ春なのかなぁ」と思えてきます。昔に比べてスズメも数が減ってきたようです。その分、カラスとムクドリは増えてきました。野生の動物は人間の環境操作でその数を変えていきます。微妙なバランスの上で自然のサイクルが成り立っているものですが、スズメとカラスの数は人間の生活域の広がりと比例しているはずです。

さしずめ我家は長岡市の農業界においてはスズメのような存在かもしれません。

小学校3年生の発表会に招待されて

母校の中島小学校3年生の発表会に招かれたので行ってきました。昨年、3年生児童の皆さんに中島巾着茄と梨ナスの栽培指導をしたことからの招待です。

3年生児童の手作り味噌おにぎりを食べてから発表が始まりました。

教室での発表会は、2~3人が一組になって花火や信濃川など長岡について何か1つを調べて大洋紙に調べたことを手書きし、皆の前で説明発表してから三択クイズにするという内容でした。10組以上あったでしょうか。皆さんよく調べてわかりやすくまとめてありました。 半年前に比べてずっと成長していました。

一口食べてからの写真

味噌は、地元の方から指導をうけて児童たちが作ったそうです。それを、おにぎりにして父兄を交えて食べました。砂糖を加えてあるので甘辛味です。ゴマも入っていました。

発表の中には「きんちゃくなす」もありました。

中島地区から中島巾着と梨ナスの栽培が始まったことなどを分って貰えたことは、「地道な活動を根気強く長く続けることの大切さ」を実感しました。嘘や間違いを教えることは絶対に出来ないと心を新たにし、真実を伝え続ける決意が一層固くなりました。

畝上作業に必要な道具です

あと2ヶ月すると畑に畝を立てる作業が始まります。春の畝には保温と防草のためにビニールマルチを張ります。

キュウリ・トマトなどの栽培では作業上、どうしてもビニールマルチの畝に体を載せなくてはならない仕事があります。当然ですが、マルチが破れたり凹んだりするので神経を使います。そこでこれが必要になり作りましたが、随分年数が経ちました。

ベニヤ板と廃棄アルミ材。必要に迫られて思いついたので30分で作りました。

画像の板を畝の上に置き、その上に乗って作業するので、畝が凹んだりマルチが破れたりするのを極力防ぐことができます。 軽いので移動も楽ですし、壊れても苦になりません。材質からして60体重キロが限界でしょうか。

5mm厚ベニヤ板を約50~60cmに切断。四角をR加工。ビニールマルチに引っかからないように全切断面角をヤスリで面取り仕上げ。 取っ手は廃棄されたキャンプテーブルのアルミ部品をネジ止めしてあります。

 

稲荷信仰と百姓

今年の初午は2月12日の日曜日です。 百姓の我家では昔から稲荷さんを祀っていますので毎年の初午では5色の旗を立てて御祭りしています。子供の頃は農業の神様として我家は稲荷を祀っているのだと思っていましたが、祭事理由は他にもあるのです。

この五色旗は2年位前まで町内の文房具店で売っていたのですが、もう販売しなくなりました。それまで五色旗は文房具店の方が紙を仕入れて切って貼って旗を作っていたとのことでした。旗を吊るすススキの棒(長岡では「オギン棒」と言います)を刈り取って納入する業者もいなくなったといいます。 いずれこのような風習が廃れていくとしたら…「5色旗を自分で作ろう!」と決断。

長岡市の大きな仏具店に五色紙の取り扱いの問い合わせをしましたが「取り扱っていません。去年も神社から同じ問い合わせがありました。」とのことでした。大型文具店でも取り扱っていないとのことでした。やっぱり自分で探して作るしかありません。

5色旗の紙をネットで探すと、アマゾンで販売していました。でも専門店の専用紙が欲しかったので探し出しました。三重県伊勢市の中野紙店さんです。 電話で問い合わせてファックスで注文しました。入金連絡・発送連絡までしてくれて安心。振込み翌日に到着の迅速さ。手書きの挨拶状まで入っていて心が温かくなりました。

早速開封して作業開始。さすが専用紙です色がきれいです。

各100枚 緑黄赤白紫

習字用の紙とは若干違って丈夫そうなので、雨や雪で解けたように切れることは少ないと思います。 そういえば、地元の文房具屋さんは昔、色のついた大洋紙(模造紙)を使っていたこともありました。長岡の初午時期は雪雨にさらされるので文房具屋さんの知恵だったのだと思います。大洋紙とは新潟県特有の呼び方との説があります。

1枚ずつ計5枚を重ねます。この5枚1セットの色紙から4旗分取ります。

この色紙にも裏表があるので全ての紙の面を揃えて、旗の色順に重ねていきます。

裁断機で4分割します

1セット(1旗分)5枚ですが、一度に2セットずつ合計10枚ずつ切断します。シューッと裁断できるので楽しい。ハサミでは疲れます。

本日は時間の関係でカットのみでした。順番どおりに糊で貼り付けるのは明日以降です。

畑仕事に必須の道具です

伸縮できる孫の手

農作業は手が汚れます。 とくに雨の日などは背中や顔が痒くても泥土で汚れた手で背中を掻くことはできません。 顔にしても、濡れたり汚れた手で掻いてしまうと余計に痒くなってしまいます。特に50代に突入すると体全体から油分が消えて乾燥肌になって四六時中痒くなることもあります。

そんな時に、「孫の手」は絶対的なチカラを発揮します。スッと伸ばして襟元から痒いところに手が届くことの有難いことと言ったら…。雨具を着ていても、汗でシャツが肌に張り付いていても、手袋をしていても掻き掻きできる快感が満足感に変わるのです。

トラックには百円の竹製孫の手と、この伸縮孫の手が常備してあります。伸縮性のものは280円で工具ストアで購入しました。年々、背中に手が回らなくなっているので、伸縮孫の手はトラックだけでなく、長時間の外出時などのカバンにも入れていきます。

この伸縮孫の手は、畝に立てた支柱にネットを張る時などに使ったりもします。

農作業をする人は、車に用意したらよい道具のひとつだと思います。