伝統とは先人の知識経験を正しく伝え残すこと。門外不出相伝の選抜採種


長岡において最初に栽培が始まった新潟県長岡市中島地区で100年以上に渡って、この地区で栽培が続けられている中島巾着茄子(丸ナスと呼ぶ)。 在来種のために様々な性質を持ち、本来の形質と違う実を選抜採種すると形も味も変わってしまう。採種は知識と経験のある中島農家だけの専売特許のようなもの。以前は市内の種店のほとんどが中島農家から種を仕入れて販売した。それほどに性質を知らないと変化してしまうのだ。 現在も2軒の中島農家が中島の地で直系の種を毎年採取している。丸山さんと我家である。

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この形とシワ、そして色艶を100年以上に渡って残し伝えてきたのが中島の農家。だからこそ「中島巾着」の歴史ある名前がある。

写真の形の実から採種したからといって、同じ形質のナスばかりが収穫できるわけではない。なぜ、この形が重要なのかは、明治期に長岡で最初に巾着茄子(中島では丸ナスと呼ぶ)を最初に栽培した小川文四郎さんの子供の故・小川友一郎さんが語った言葉が残っている。「大きくなっても種がぶつぶつしていない。硬すぎず旨い。明治の栽培初期からの形」というのが理由のひとつであろう。水と光はこのナスの必須条件。

3枚下の種実の写真について。
長岡の本当の伝統野菜。百年の歴史、中島巾着茄子の選抜種子実 。 中島農家だけの伝統がこの種子をのこしてきた。 3枚下の画像は2012年の写真。マジックで書いた1番と2番の形の違う種子実を採った理由は…形質遺伝実験のために典型的な中島巾着茄子(1番)と丸い形質の巾着茄子を選抜した。一度でも丸い形質を選抜するとどうなるか…丸い形質の実が多く出るようになり世代を重ねるほどに本来の性質と違っていく。種を守る(伝統)ということは長きに渡り伝えられた全てを知る者の責務であり、先人に敬意を払う気持ちが必要です。「長岡巾着ナス」は僅か11年の歴史であり伝統野菜ではありません。
父親や祖父や曾祖父たち中島の農家は多くの失敗と成功を繰り返しながら、種子選抜の重要性を中島農家の各農家の秘伝として伝えてきた。町内の農家同士といえども自分の秘伝はなかなか教えない。当然のことだが、古正寺地区や四郎丸地区を含む他地区農家には種や苗の譲渡はしない。そして採取ノウハウや栽培技術のヒントとなる話すらしなかったといいう。種も苗も技術も門外不出だったのです。
★種を売った上に栽培技術まで教えてしまえば中島農家は自分の首を絞める事になる。そんな愚かな事はしない。

嫁入り、婿入りなどで種子苗の移動がある以外は種泥棒・苗泥棒によって栽培が広まった…「中島農家の誰々からもらった」と来歴や譲渡元がハッキリしない栽培農家は怪しまれた。昭和という後年になって市内の種店でこのナスの種が販売されるようになった。
昔から営業している長岡市内の信用できる何軒もの種苗店は「中島地区の農家から直接、巾着茄子と梨ナス(白十全系)の種を仕入れて販売していました」 しかし、自分の家で選抜採取する種と種店に納入する種の品質(性質)は当然違いました。(自家用は性質が良い) それほどにこの中島巾着の性質は安定していないということです。性質を熟知した中島農家がいたから長岡の巾着ナスの性質が守られてきたということです。 現在、中島農家で採種を続けているのは丸山さんと土田の2軒のみになりました…といっても現在の中島の専業農家は3軒です。そして2軒ともに随分昔に種店への納入はやめました。近年、長岡市内の有名種苗店では丸山さんの種を元に県外の業者に委託採種させているそうですが、地元の野菜種だけでも種苗店が地元で採種販売してほしいと思っています。

 

この中島から長岡市全域に伝播した巾着茄子は性質を知っていれば栽培はとても簡単ですが、その性質さえ中島農家は人に教えることをしませんでした。そして一番難しい収穫実の選別技術と採種ノウハウは100年の歴史で培われた中島だけの伝統です。だからこそ長岡の信用ある種店は中島農家から種を仕入れていました。
「丸なす(巾着ナス)は栽培が難しい」として価値を上げようとする農家がいますが、それはこのナスの性質と中島農家の歴史を知らないからです。歴史の中には先人の英知が詰まっています。歴史を軽んじる者は平気で伝統の名前を変えたり、苦労して歴史を作ってきた先人に対して敬意を払うことをしません。

 平成26年晩夏、新潟県で随一の野菜研究者の瀬古龍雄さんは (元新潟県園芸試験場職員であり新潟県の在来野菜を実地調査して全国に紹介した方) お会いした際に「知識と経験がない者が種採りをしてはいけない。本来の性質と違う種を残す恐れがあるから絶対にダメだ」と厳しく言っておられました。(瀬古さんとの会話は録音してあります)瀬古さん小田切さんともに研究者でありながら数十年を実際に圃場で農家と同じく鋤鍬を振るい、多くの農業者の辛苦に寄り添ってきた方だけに、知識経験はもちろんのこと、欲得の無い厳しさと誠実さ、そして良し悪しがハッキリしています。そのお二人が認めたのが土田系中島巾着。

昭和40年代まで中島農家の畑には植付け直後のナス苗泥棒や種ナス泥棒が出たといいます。手口からみて日中に下見をし、夜間に盗んだのだろうということで、ある程度の野菜知識を持つ泥棒だったと聞いています。(元中島農家の木山一さん談) 中島の農家は毎年幾つかの種実を採取して翌年に播種栽培し、性質の良し悪しを判断して、廃棄する種・保存する種に分けて良種を数年分蓄えるので種が絶えることはありませんでした。しかし、信濃川河川敷の増水が数年続いた年がありました…この話は別の機会にします。
本来の形質を有しない種を播いたらどのような結果がでるか?      それを実験証明するための写真右側2番の種子実です。 2013年から2015までの結果は出ていますが次の機会にします。

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左1は典型的中島巾着。右2は四郎丸型といってもよい丸い形。 写真のほかに2012年の種実は系統保存用に数個分を採取してあります。

信濃川河畔の中島から直線で2キロ東に四郎丸地区があります。長岡駅の東側です。
この地区は昔、田園地帯であり住宅振興地でもありました。この地区の駒村さんという農家の栽培する「四郎丸なす」は、中島農家の丸山さんの種が元種です。このことは丸山さんと駒村さんのおばあちゃんに確認してあります。四郎丸なす」の元種は「中島巾着」ですが四郎丸では丸い形を選抜している。と昭和62年11月刊行の新潟県の園芸・県内の在来野菜品種を探る(26)41ページ中島巾着ナスにも記録されていますし、平成25年8月末に駒村さんの直売所にておばあちゃんから四郎丸なすの歴史(本格的な栽培は昭和50年前後からとのこと)や栽培方法、採種などを含め聞いた折に、上記同様に聞いています。
丸山さんの種は「巾着・本当の梨ナス」ともに米三種苗店が元種にしています。藤田種苗店の巾着ナス種は米三種苗のものを仕入れているそうです(店主談)。大島地区の米重種苗店の巾着ナス種は中島農家の故小林六郎さんのものが元種です(録音あり)。

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新潟県農業総合研究所で系統保存していた中島巾着。2014年5月に新潟県の許可を受け苗として15本を中島に戻してもらった。(他の地区には出せない)後に、米三種苗の丸山系巾着だと判明した。しかし、我家には先祖や父から受け継いだ土田系があるので宝の持ち腐れに…定植が時期的におそかったので全て一番実での採取。 この実から採種した種の2015年の発芽率は90パーセント近くと高かったが土田系を収穫販売するので、県の育苗本数は30本程度とし、定植は15本以下であった。

上画像は県園試の中島巾着を土田が栽培したもの。引き取りに行った際、県園試から1972年採種との説明と来歴・入手経路の詳細は不明とのことだった。土田・丸山・六郎系の3系統以外の種を期待していた。しかし、偶然にも、4ヵ月後、県園試職員だった当時にこの種子を長岡で入手したという小田切さんから説明を受けた。「昭和62年に米三種苗から購入した種である」ということだった。したがって現在、新潟県で系統保存している唯一の中島巾着茄子(巾着ナス)は丸山系ということになる。土田が調べる限り長岡において来歴の証明できる巾着茄子は丸山系・六郎系・土田系の3系統のみである。中島農家以外が採種した種は「伝統でない長岡巾着ナス」に変化している可能性が高い。 ●四郎丸ナスは栽培当初から丸い形質を選抜した独自ブランドであり中島巾着と一線を画しているので性質変化に拘る必要はないと考える。●長岡巾着なすは「水を与えないで育てる」と宣伝しているが、歴史ある本来の中島巾着茄子は水を必要とする性質である。 長岡市やブランド協会のパンフレットを見ても判るが長岡巾着ナスは種が成熟して発芽能力を有している実も食用にするらしいので、本家の中島巾着茄子から性質変化をしたために改名宣言をしのたのかもしれない。 ★中島農家は全員、栽培の歴史と経験が長く、知識も技術も格段に上ですし、長岡で一番良い品を生産しています。明らかな歴史の重みの違いが判ります。

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2014年。明治期、長岡で最初に巾着ナスを栽培した小川文四郎氏の子孫宅裏にある土田重兵衛の畑に県園試の巾着ナスを植えた。降雨の土跳ねでの病気予防と乾燥防止に雑草を生やすのが土田流栽培法で、これだけは伝統から外れている。

2014年に戻してもらった県園試の中島巾着ナスは本数が15本であることと入手日が5月21日で時期が遅く、苗長15センチ程の老化苗であったことから1番果を採種用にした(全て着実)。翌年の発芽率も良かった。

在来種は知識を持った者が採取して観察し結果を見届けて採種販売することで地方の種苗店の看板が守れると思うのだが…。

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採種業者と同じ状態にしてみた。不安定な固定種だから良種を選抜するには相当な苗が必要。

上画像は採種業者と同じ状態にした場合にしてみたのだが、その本数は10本以上とした。種子販売できない農家としてはとても無駄な行為ではあるが、種子を生産する業者の気持ちと考え方を少しでも理解すべく行ってみた。営業としての採種ではとても選抜などできない。ましてや中島巾着を基とする長岡すべての巾着茄子は小川文四郎さんが在来品種の中生ナスと交配させた種が元である。100年経っても固定していないと思えるくらいだから大量採種には無理があると感じた。

父親は毎年、平均栽培本数500本以上から毎年1~2個の実を選抜していた。先日のこと、市内の種苗店に「種苗店の営業では選抜をしていたら時間がいくらあっても足りないし儲けにならない。」と言われたが尤もである。

近年、「長岡巾着」として関東などの種苗店が種子販売を開始しているが元種をどこから入手しているのだろうかと思った。野口種苗に問い合わせたところ米重さんであった。米重さんの種は六郎さんの種である。 ジーンバンクは中島巾着名称で米三種苗の種が元である。