長岡巾着ナスの嘘・中島巾着の真実


世の中には「どうせ誰も調べないから何を言ってもよい。」という意識があります。そして、そういう者ほど声が大きくマスコミに取り上げられる傾向が強いのが現実です。 長岡野菜ブランド協会発足以後、協会に封印されたかのようにマスコミなどに取り上げられることのなかった新潟県長岡市の中島と言う狭い地区の百姓が伝統を創り伝えてきた真実の一部を以下に著していきます。長岡巾着ナスは他地区農家が中島巾着の丸いものを選抜していった品種であり100年続く本来の中島巾着の性質でなく伝統野菜ではありません。

実地調査に基づいて書かれた誠意ある中島巾着についての記事

Ⅰ. 長岡巾着ナスの疑問

中島巾着・中島なす・丸なす・長岡ナス・四郎丸ナス・長岡巾着ナス、時系列に沿った、長岡市における巾着ナス(丸ナス)の名前であり、すべての名称が現在も使われ生産されている。中島が発祥のナスである。

土田重兵衛の住む中島地区は長岡で最初に巾着茄子を栽培した地区であり、野菜農家の多い地区であった。長岡で初めて巾着ナスを栽培した小川文四郎さんの家は土田の近所であり、近年まで小川家では土田系の巾着ナスと梨ナス苗を仕入れて栽培しリヤカーで引き売りしていた。中島農家では巾着茄子を、種と苗のうちは「オクナス」と呼び、植付け後から「丸なす」と呼んでいる。 私の父、土田順作は文四郎家の人達から直接何度も中島巾着の歴史を聞いている。そして文四郎さんの子供である友一郎さんの畑は我家が引き継いで野菜を作っている。

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信濃川河川敷左岸、小川家から引き継いだ畑に茄子を栽培した年の画像。増水と洪水の時に被害が少なく後始末に手間がかからない仕立て方。中島農家が河川敷でナスを栽培するには数パターンの仕立て方がある。

近年、「長岡巾着ナス」で検索すると、ネットや出版物で拾い集めたものを整理しただけで発信していると思われる情報が満載である。その内容には誤りも多く、意図した嘘とも思えるものさえ存在している。

其の1 以下①~④はネットで長岡巾着として発信され続けている内容である
①長岡巾着ナスは明治14年頃、今の新潟県田上町から長岡市中島地区の小川家に嫁いできた女性が亀田巾着の種子を持ち込んだのがルーツとされています。 ②当時、一般のナスは8月下旬にならないと収穫できなかったが、この巾着ナスは7月下旬には収穫できるとあって爆発的に普及したと考えられます。中略
目利きもずっしりと重くて③身が硬くしまっている物が良いとされています。中略
栽培方法も通常のナスは大量に水をやりますが、④長岡巾着ナスは一切水をやらずに育てます。

上記①~④について
1. 明治14年頃という調査は誰が誰に調査したのか。(同じ人物の解説であっても年が違う。)1987年「にいがたの園芸・中島巾着ナス」では明治40年頃と小川友一郎さんが語っている。

2. 江戸時代に長岡で栽培されていたナスは「なかて茄子」である。「中手・中生」なすの意味である。この「中生茄子」は、早生ナス品種の「白十全系の梨ナス」が昭和13年から栽培されるようになり消えた。梨ナスが導入されなければ「なかてナス」は現存していたかもしれない。 中島巾着は、種のうちを「オク茄子」と呼ぶ。オクとは「晩生」の意味であり、中島農家にとって播種時期が遅いことの意味である。(なお一般的なナスの晩生とは実が大きくなるのに日数がかかる品種を晩生としている。)雪国長岡の中島では、低温に弱い野菜を間違いなく栽培するために、早生・なかて・オク、として播種時期を分けていた。明治期に、中生ナスよりも晩生(オク)の中島巾着が早く収穫できたとは無理がある上に、早い年には9月中旬には収穫が終わりになってしまうナスが、種まきから4ヶ月半かかって8月下旬にならないと収穫できないようなナスは収穫期間が短すぎて栽培する意味が無い。 当時の中手が8月下旬から収穫ならば、晩成の巾着は9月過ぎでなければ収穫できないことになる。梨ナスは早生・中島巾着は晩生である。

3. 硬くしまっているというのがどの程度なのか判らないが④と関連があるようなので、下の4に記す。

4. 長岡巾着ナスが中島巾着茄子と同じであるならば、絶対的に水は必要。河川敷の畑においても水不足では着花不良・花落ち・落果・色艶形が悪くなります。
水不足で硬くなる現象を土田は「石ナス」と言っている。状況によるが形も悪くなる。水不足は他に「ボケナス」といわれる艶なし状態にもなりますが、これらは水分不足などによる生理障害であり廃棄するべき実であり販売向きではありません。後に出てくる長岡市配布のパンフ写真参考。
そしてなにより、水不足は植物・動物の本来の役目である、子孫を残す本能を加速します。
下、写真2015年は8月半ばまで雨の降らなかった古正寺側の信濃川河川敷のナスです。 7センチ程度で空洞と成熟した種ができています。形も悪いです。
信濃川河川敷であっても「水を一切与えない。水を控える。」というのであれば「長岡巾着ナスは、本家の中島巾着茄子から相当に性質変化しているといえる。
昭和50年代に、四郎丸なすが有名になった理由の一つが、転作田でのナス栽培で渇水期に用水を入れることで色艶が良かったことである。

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2015年「水を与えないとどうなるか」の実証栽培圃で水を一切やらなかった信濃川河川敷左岸のナス。硬く、形が悪く、艶が無く、空洞ができ、7センチ程度でも成熟した種ができる。
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本家本元の中島巾着茄子でも水がなければ、この通りに空洞が入る。水が必要という植物の基本を無視してはいけない。土田家ではこの日から数日間かけ水タンクで、反当り約20トンの水を潅水した。
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絹皮系の梨ナスも水不足はこの通り。左岸河川敷産。平成27年7月

 

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水を一切与えない。水を控える。と、長岡市が配布するパンフレット写真のようなブツブツした種が早く成熟する本能が働く(長岡巾着)。 最上段写真と同じ状態のものが販売されパンフ見本となっている。

上記のようなナスが平気で販売されているのが長岡市の現状。

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植物や動物は自然に適応しながら進化をしてきました。人間が約30年で世代交代しながら適応進化するとすれば、植物は1年単位で世代交代して適応進化をします。人間の30倍の速度で適応変化していくのです。
「水を一切与えない。控える。」ことを繰り返していれば、小さな実のうちに、硬く色艶形が悪く、早く種を成熟させる性質を持つ巾着ナスに性質変化をしていくはずです。ナスは水不足で樹が衰えると、回復に2ヶ月かかるという。

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中島巾着茄子(長岡の全てのナス)はこのように水を必要とする。性質を活かし、その性質を100年伝えているから良種が守られてきた。中島農家以外が採種 し栽培すると長岡巾着のようになる…知識のある人なら、100年以上の歴史ある中島巾着茄子と、10年足らずの長岡巾着ナスの根本的違いがわかるはず。 中島巾着を長岡巾着に改名したなら性質は同じはずだが…実際は違う。

其の2 以下①~②は長岡巾着としてネットで発信され続けている情報である。
①「今現在純粋な大型の巾着ナスは長岡巾着しか残ってません。長岡巾着だけが生き残った理由としてあげられるのが、長岡の郷土料理である「蒸しなす」にするには一番美味しいなすだったからです。 ②長岡の人々は明治の頃から巾着ナスを煮たり蒸したりして食べてきましたが、そのせいかどうかついに長岡には焼きナスという調理法でナスを食べる食文化が育ちませんでした。 その話をすると「えー、この前焼ナスして食べたよ?」という長岡の人がいますが、よくよく話を聞いてみると、まあいわゆるナスのステーキのことだったりします。」

①について
1. 長岡巾着という品種は平成15年頃から生産販売されるようになりましたので、明治~昭和には長岡巾着はありません。
明治から現在まで長岡の丸ナスが(中島巾着)、生き残った理由は明治・大正生まれの中島地区農家の古老でなければわかりませんから、他の町の人には想像でしか語ることができません。
平成24年8月末日、中島の小川文四郎さんの親戚筋で、孫にあたる金内さん(大正10年生)に話を伺いました。「昭和前半まで、お盆の頃から中島の各農家の家の前には、長岡市内の味噌屋・八百屋・料亭・旅館・漬物屋などが大八車やリヤカーに大きな樽(味噌樽)を幾つも載せて待ち、丸ナス(中島巾着)を先を争うように買い漁っていました。味噌漬け・粕漬けにするためです。」と語っていました。 このように中島で大量に買い漁られる状態が有名になり「中島巾着・中島なす」と呼ばれ認識された所以(いわれ)のひとつである。
金内さんは「おじいさん、おばあさんは(文四郎夫妻)、丸ナス(巾着なす)を栽培したばかりの頃は、丸ナスがなかなか売れなくて困り、いろいろな売り方(調理方法・活用法・販売手法・交配)を考えたと、母親(文四郎さんの長女)から聞きました。」と語っていた。
巾着なすは、お盆頃から夜温低下と昼夜の気温差により硬くなり始めます(石ナスでも漬け用に買われた)。この頃より種も成熟しやすい状態になります。降雨不足の頃で当然ナスの水分も少ない状態ですし、ナスの大小に関係なく、色艶形に関係なく、多少種が成熟していても「味噌漬け・粕漬け用になります」 味噌漬け・粕漬け用の野菜に最適の性質であったことが最大の理由で近代(昭和30年頃)まで残ることができたのです。以後、各地で市場(問屋)が開設されてから流通経路が変化し食文化も多様化して漬物の需要も次第に減少していき、巾着ナスの用途は、ほぼ「蒸かしナス」のみになってしまった。
昭和50年頃からは、夏になると「巾着ナス・梨ナス・トマト」などの夏野菜が青果市場に山積みに溢れ、5㌔1箱30円・20円という箱代にもならない状態が何年も続いた。中島農家は70キロメートルも離れた上越市まで野菜を出荷しに、何年も通ったものである。蒸かしなすの需要が中心であったなら市場で余る現象は起きない。長岡の野菜専業農家の苦の歴史である。

★長岡市で昔からの老舗が作る本当の味噌漬けナスはどこに…
味噌漬けや粕漬けは、梨ナスなどでは水気が多く、水抜きや塩抜き作業で手間がかかりますし、漬けるとペシャンコになりますから長期保存には不向きですし、目方売りとして利益になりません。
巾着ナスと梨ナス(白十全系)を味噌汁の具として比べると梨ナスに軍配が上がります。
巾着ナスはアク(ポリフェノール)が強く苦味があります。ですから味噌汁は苦味がでますし、汁が濃い茶色に変色します。 「巾着ナスの蒸かしなす」は漬物用として大量に売れるお盆頃までの2次的調理法でこれが定着しただけで、巾着ナスの主な販売目的は長期保存加工用でした。
巾着ナスは煮ても焼いても食えないナスだが、味噌漬けと粕漬けには最高のナスであった。しかし、大量に売れる8月のお盆まではなかなか売れない。煮ても焼いても不向きだが「蒸かす」ことでアクによる苦味が消えて食べやすくなる。消去法により残った調理法が「蒸かしナス」であっただけあり、農家が説明しながら小売し、八百屋もこれに乗って「蒸かしナス」として一般的になった。栽培後期になると「からしナス」として向くが「蒸かしなす」には不向きである。
他の地域で巾着ナスが現代まで残らなかった…というのは実際の調査をしたわけではないので何とも書けないが、昔も今も、地域の食文化と収益が一致しなければ新しい品種や作物に切り替わるのが当然である。しかし、祖父母や父母が守り続けてきた種を失くせない。という農家がいれば種も歴史も僅かであっても残るものである。これは限られた地域の歴史を各方面から詳細に実地調査すれば見えてくるものである。中島農家に良種と正しい知識・栽培技術が残った理由は先人の苦労を絶やせないからである。そしてそこには昔の中島農家の生活のための販売努力があったのです。
長岡は雪国であり、冬の保存食が重要で保存加工に適していたから巾着ナスが残ったのです。しかし、時代と共に長期保存漬物の文化が消えていくにしたがって巾着ナスが売れ残る現象がどこでも見られるようになりました。蒸かしなすというのは二次的消費の理由です。我家では焼きナスを食べていたので焼きナス文化についてはもっと調査すべきでしょう。

近代デジタルライブラリー・明治43年広島県業務功程の19ページに巾着茄子の用途として「蒸しなす」とあり、長岡の品種と同じ品種かどうか分らないが現在の広島で蒸かしナスの文化があるのだろうか。
27年に東京の青果店から、巾着ナスを調理したお店のナスの評価を聞いたが、梨ナスは受けが良かったが、巾着ナスは評価が芳しくなかったとの返答であった。

明治・大正・昭和初期までの蒸かしなすの考察
長岡の冬は厳しい。冬の暖房は薪がほとんどの時代が明治大正と長く続いていた。一年間の炊事・風呂も大抵の民家は薪を使用していた時代が長かった。 暑い夏場の薪の使用は抑えて、冬の燃料に蓄えておくのが当然の時代である。夏場の野菜である「蒸かしナス」だけのためにわざわざ蒸しセイロを用意して、暑い中で蒸気を出し続けて蒸かしナスを作ったとは思えない。 料理屋・旅館などであればお客仕事であるから話は違うが、一般民家では薪の調達すら大変な時代に「蒸かしナスは時々」であり、ほとんどの場合は「煮ナス」だったはずである。ガスの普及により蒸かしナスが大衆的になったのではないだろうか。50年近く前の土田家では貧しく、ガス代金が勿体無いという理由で、蒸かしナスをあまりしなかった。 巾着・梨ナスの煮ナスか、梨ナスを焼いたり炒めたりする方が多かったくらいである。巾着ナスは大抵の場合、味噌汁の具や煮ナスであった。盆頃から漬物用に丸ナス(巾着)が売れた。配布されていたパンフレットの長岡巾着ナスは成熟した種のナスである。

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其の3 以下の①は長岡巾着としてネット発信されている情報です。
①「先ほど長岡では焼きナスを食べないといいましたが、先述の鈴木会長の研究によると皮付きのまま直接火に当てて焼く焼きナスが美味しいとの事です。でも焼きナスはまだ自分ではためしてみてません。」とあります。

①について

別記してありますが、梨ナスの焼ナスは長岡の食文化として昔も今もあります。土田家5代目の妻キセ(祖母)は明治33年生まれで悠久山の麓の出である。10歳程で大工町(現、日赤町)に奉公へ出て15歳で土田家に嫁にきたのだが、祖母は俺が子供の頃から梨ナスを半割りにした素焼きのナスを作っていた。醤油・おろし生姜・鰹削節で食べていた。 フライパンで焼くのは市内では昔から一般的な梨ナスの食べ方である。中学の同級生の家は昔から表町で日本料理店を営んでおり同級生の母親は昔から梨ナスの焼きナスが好きだということで店のメニューにもなっている。

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2010、平成22年発行の、農協関連の情報誌より。

Ⅱ. 長岡巾着ナスについての疑問2
古正寺地区の小林幸一という農家が上記画像の農協機関紙に答えた内容を①~⑤まで1行抜粋し、次に嘘間違いであろうという点の理由。

①「木に勢いがあると、ナスの実に縦ジワが入ります。このシワが原種のあらわれ」
と書いてある、100年以上栽培している中島農家20名以上(故人含む)の人を知っていますが、子供の頃から一度もこのような話を聞いたことがありません。収穫最終段階の木が弱っている場合でも縦ジワが入りますし、ツルツルまん丸の形も出現します。だから「丸ナス」と呼びます。縦ジワは単なる性質であり、梨ナスと巾着ナスの交配種でも縦スジが入ります。米重種苗店の梨ナス黒系は栽培当初から最後まで、木が弱っていても、枯死直前までほぼ全ての梨ナスに縦スジが入り続けトゲも大きく多かったですが、あの梨ナスは原種ではありません。
②「原種はより自然に近い環境で管理しないと実を留めません。」
原種と言い切っている文面ですが、巾着ナスは固定していない在来種です。小川文四郎さんは栽培初期のうちに巾着ナスを「なかてナス」と人工交配させた。と伝わっています。そのために長岡市内の全ての巾着ナスに「なかて」の遺伝形質の強いナスが出現しますので原種ではありません。 タキイ種苗に2度「ナスの原種はトゲが大きいのか」を質問したが、「トゲのない原種もある」と言っていました。

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巾着ナスから数百分の1の割合で出てくる「なかて・中手・中生」。2014年の「なかて」種を採種して2015年に播種栽培した結果。巾着ナスの発生率が2割以下であり中手の発生率が高確率であった。名前と言い伝えが事実に合致している。原種でない証拠。 30年近く前に米三種苗から依頼されて6代目が同様の試験栽培をしたので、再検証した。

「実を留めない」理由は原種だからでないはずです。早期播種・早期(低温)苗植による受粉不良が原因でしょう。 2011年だったろうか、古正寺地区の農家が早播き早植えして4月の積雪の中にトンネル栽培し低温障害で長岡巾着ナスを全滅させた話をJA職員から聞いている。
③「苗の根元から第一節に成る1番果は、自ら成長する力が弱く、すぐ落ちてしまう。」
我家の中島巾着は1番果が落ちたことはありません。ホルモン処理もしません。
落果の理由は本圃への早期苗植えによる低温障害、受粉不良やホルモン異常です。性質変化していなければ5月末以降に定植すれば良いだけです。 数年前の4月上旬、長岡大手大橋西詰の河川敷畑において残雪量60センチ以上の雪を除雪し、ナスをトンネル栽培していた農家がいましたが先述の農家でした。 農協営農課に訊いたところ「ほぼ全滅して種を買って播きなおした」とのこと。(この年、土田家の本圃苗出しは6月過ぎです)
この人の畑の前を毎日通過していたので、凡その堆肥量も知っていますが、通常量の倍以上であり、木ばかりが大きく実が少ないという状態なので、イモ類や瓜類でいう「つるボケ状態」にあります。(過栄養のうえ、必要の無い栄養も多く、子孫を残す必要性を感じていない状態)
20年ほど前に6代目重兵衛が、農協に牛糞堆肥を注文したところ注文量より大く投入されてしまった年がありました。 木が勢い良く2メートル近くに茂り、実が少なく嘆いてました。こういう状態の場合はスコップなどで、適度に根を切ると再び実がつくようになるのです。巾着ナスも他のナスも同じであり、サツマイモの多肥栽培時の蔓返しと同じことです。
④「栽培時、水をいっさい与えず、本来の旨みと味を引き出すように管理する。」
近年は「水を控える」と表現が変わりました。 20年以上に渡り、この人の畑の前を毎日のように通ってきましたが、他の河川敷の畑同様に潅水設備はなく、雨除け施設もこれまで見たことがなく、他の農家とまったく同一条件であり特別なことは一切なかった。

⑤「水をやると根が怠けるからです。水を与えなければ、茄子の木が自ら水を求め、地中深く根を張る。結果、土中の栄養分を充分に吸収して勢いのあるいい木になり、濃い味の実をたくさんつけます」とある。
河川敷では乾燥で毎年、土がひび割れる状態になります。巾着ナスは特別な品種ではありません。大手種苗メーカーでは、「ナスは栽培期に水切れや肥料切れを起こしたりして樹を弱らせると回復に2カ月必要とする。」と指導説明しています。土田も種苗メーカーの説明に納得しています。巾着ナスも同じナス科植物です。 
植物は日光を葉で受け、光合成を行う。光合成により養分を変化させて成長します。その上で子孫を残す実を充実させます。実は動物に食べてもらって種を移動してもらうように甘く旨くなるようにしますが、動物が好む糖分などを作る光合成・同化作用の絶対条件は光、養分、水、温度です。水を一切与えないで同化作用を働かせるのは無理な話、旨いわけがありません。水を控えても同じことです。
本当に旨い巾着ナスを作りたいのなら、葉と実の色艶を見ながら充分に、同化作用に必要な水を与えるべきです。水をやらない、水を控えた巾着ナスは、いいとこなしです。(スイカやトマトとは性質が別。ナスはナスでしかない。)人間も植物もストレスを与えたら障害が出て素直に育ちません。
植物には水分や養分を運ぶ管がありますが、乾燥で弱った植物はイジケてしまうとなかなか元通りになってくれません。人間でも植物でも動物でも虐めてしまうと後が大変です。
水分不足でボロボロに弱った血管にドロドロの血液が流れている人間と同じ状況です。

下画像、自根の中島巾着の張りを調べるため土田は自分の畑を掘ってみた。地上部1.1メートルのナスの場合(長岡においてナスは何日まで播けるかの試験栽培で4月26日播種のために樹が小さい) 目視で確認できた主根は1.4メートルが限界であった。毛細根は不明であるが3メートル以上の根張りをしているとは思えない。
昔の信濃川西側河川敷における地下水脈は平均して地下6メートルに位置する。井戸の場合は6.3メートルの抜き打ち井戸である。信濃川の夏の平均水位は海抜約16メートルであり、長岡巾着栽培農家の畑の海抜は凡そ21メートルから22メートルで井戸は無い。地下水は夏の信濃川水位よりも下にあるので地下水脈は最低でも海抜15メートルである。地下水脈のある6メートル以上も根を張っているとは考えられない。
渇水期にショベルで2メートル近く掘ってみたことがある(6月に前年の長芋を掘ったついでに)、踏み固めたようにように硬く乾燥していた。
河川敷の畑で栽培する限り、誰が栽培しても水を撒かないなら同一条件である。

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中島巾着。地上部約1.1メートル 収穫が完全に終わった直後の10月に掘ってみた
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主根が目視確認できたのは1.4メートル付近まで
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信濃川左岸河川敷畑(古正寺側)60年以上前からある井戸は3本すべて6.3m。 現、日赤病院と同じ海抜約20mの畑、信濃川は夏場の渇水期に15m台まで水位が落ちるため地下水脈は海抜14m以下である。(間違い嘘を正すためにポンプを外した)

中島巾着100年の歴史では失敗も多くあり、その経験から「丸ナス(巾着)は背丈以上にするな。」といわれてます。木が大きく勢いがあるということは実が少ないうえに余計な肥料で肥料焼けを起こし、病気に弱くなります。人間でいうメタボ・糖尿病状態。そして堆肥の過剰投入は畑を駄目にする場合もあります。後作を考え土に無理をさせないのが野菜農家の真髄ではないだろうか。 肥料を必要以上に与えて樹を大きくし、後作に弊害がある残肥を多量に畑に残す栽培方法を昔の人はしていない。

長岡巾着ナスと長岡甚句のあまりに不思議な疑問

長岡まつりに必ず聞くことができる「長岡甚句」について。
『盆だてがんにナスの皮の雑炊…』長岡甚句に唄われているのがこの巾着ナスである。 というのだが。

この一節をパソコンで検索すると、新潟市の「新潟甚句」、新潟市西区「新飯田の盆踊り唄」、新潟市秋葉「新津松坂」、魚沼市小出「原虫野」まつり唄など新潟県各地に「盆だてがんにナスの皮の雑炊、あまりてっこ盛りで、鼻のてっこ焼いた」と全く同じ歌詞が存在している。 いったい誰が最初に「長岡甚句のナスは長岡巾着」だと言い始めたのか? その理由を問いたいのだが、誰も説の出処を教えてくれない。
巾着茄子を歌ったのならば、長岡甚句のこの一節は明治時代以後に作られた歌詞ということになる。 長岡甚句は町人唄と武家唄の2種類存在したというが、維新後に武家唄は消えたらしいと文書資料室で聞いた。ネット検索で長岡甚句に関する歌詞を調べていると「左近の土手が完成した折に、喜んだ左近の人達が長岡甚句を唄い踊った」とあり、それが寛延元年1748年9月22日とある。この時代に「盆だてがんにナスの皮の」と唄われていたとすれば、巾着ナスのことではないし、長岡ではナスが一般的に栽培されていた証明にもなろう。 この時代の歌詞の歴史記録は見たことがない。

県立新潟図書館へのインターネット問い合わせ回答にも、土田同様の調査結果を見ることができる。検索キーワード新潟県、民謡、「盆だてがんに茄子の皮の雑炊だ」2016.03.25付け

新潟甚句やそのほかの地区の歌詞が長岡甚句を真似たというのはどうか…「盆だてがんにナスの皮の雑炊」というのは過酷な暮らしの中で年貢を納めているのに、先祖が帰ってくる盆にさえも椀一杯の白米すら食べられずに、武士たちが捨ててしまうような、ナスの皮を入れた雑炊を山盛りにして食べているんだ、可笑しいだろ?…と支配階級の武士に対して、農民や町人たちの貧苦を自虐的な笑える盆唄にしたのだと考えたほうが理に適っている気もするが、今井雄介先生は「武士も貧しかった…」と言う。ナスの皮の雑炊が通常食のように食べられていたのなら、食文化の記録に残っていそうだがそんな話は聞いたことがない。土田家は戊辰の役以後は非常に貧しかったが、祖父母がナスの皮の雑炊を作って食べているのは記憶がない。ナスの皮の雑炊についての記録を発見した人がいたなら是非知らせていただきたい。

江戸時代、町人農民のまつりには、武家の者は行ってはならないという決りがあったので、武家のいない盆唄としてなら一年一度、無礼な歌詞が許された。この歌詞が面白くて各地域に広がり残ったとも考えるが、時代背景も出所も一切不明であるから証明できない。
確たる歴史的資料がない事と、どうせ誰も調べたりしないから何を言ってもよい…という人物が販売目的のために短絡的に「甚句のナスは長岡巾着」と思いついたのだろうか。「長岡に焼ナス文化がない」説に状況・発想が似ているが、丹念に調査すれば判るかもしれない。

ちなみに、長岡でのナス栽培の公式記録はで現存確認できる資料は慶応4年である。日本でのナス栽培の歴史は古く、越後には江戸時代に海路、北前船で入ってきたのではないか…というのは県園試の参事の論だが、土田も同様の意見であった。
前後するが、長岡の歴史研究家である今井雄介先生も「長岡甚句のナスは、巾着ナスではない」と断言しておられた。
食育として小中学生が授業で勉強しているのだ。米百俵の故事を廃らせることにならないようにしたいものである。
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上の内容…「長岡陣句(甚句)は明治22年8月頃、大阪から新潟に伝わり、やがて越後古志郡全域と南蒲原方面に伝わったと聞く。陣句と云う字が甚句となった由来は、陣句の陣は長岡藩士が雄渾爽快になるよう唄われたものである。そのころは御家中節と云っていた一説もある。」
上の文章は画像「長岡甚句の由来」にある説明だが、時代が明治22年であり長岡藩士が出てくるなど、今ひとつ文章を理解できないでいる。江戸期からあった町人唄の甚句と、明治期に大阪から伝わった甚句が時代と共に混在したのか…大阪から「ナスの皮の雑炊」の歌詞が入ってきたとしたら面白い・・・甚句の話題はここまでとする。

昭和6年発行の長岡市史889ページ~893ページに甚句の一節に繋がる説明を2016.4.25に見つけた。891ページにナスの皮…について「勤倹令徹底の半面か」とある。勤勉節約が徹底されたときの反発と解釈している。やはり江戸時代の歌詞であろう。この編纂者は中島小学校の初代校長などを歴任した丸田亀太郎氏である。

生産者数の実際について
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上記画像文章は農業新聞2008年2月22日の記事である。「栽培が難しく生産者は市内に5人だけ。」とある。 長岡巾着なす・長岡なす・四郎丸なす・中島巾着が同じものだとしたらの前提になるが、2008年、長岡市内において中島農家は中島巾着を栽培していた。生産者は土田・丸山・長谷川の3軒。四郎丸地区では、少なくとも四郎丸なすを3軒が生産している。他にも市内で生産農家が「巾着ナス・長岡ナス」などの名称で地元のスーパーなどに直接出荷している。他にも多くの生産者がいるはずである。5人などということは絶対にあり得ない。

img014確実に嘘間違いです。

上画像、クックニッポンというネットで見つけた文章。2013年8月8日取材とのことで、内容に間違いないか取材者に直接連絡をとって確認した。担当者は土田への2013年10月28日付けのメールで取材記事は「間違いない」とメールで返答がきた。小林幸一という農家の嘘なのか間違いなのかは農業新聞記事・クックニッポンの取材記事でお分かりだろう。
この2013年当時、中島農家だけで3軒が「巾着なす」を栽培している。この年の農協把握数でも24名の生産者がいる。
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2013年11月に長岡市農協が管理する栽培履歴カードを元に、直売所およびスーパーへ出荷している市内の「巾着ナス生産者数・面積」を調査してもらった実数が上画像である。
この他に農協を通さずに生産している農家があるかもしれない。 

ナスの栽培仕立てについても、嘘がある。
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画像下段写真の「この柵の作り方も、オリジナルのものだとか。」とあるが、
長年、農業指導をしてきた方に画像写真と文章を見てもらったが、「そんなことはないでしょう」と言っておられた。
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米三種苗店・藤田種苗店の種の小袋の説明文にも「草勢強く、生育旺盛で栽培容易」とあります。
※ただし、草勢が強い巾着ナスは実が少なく、ボケます。

 

続く