カテゴリー別アーカイブ: 巾着茄子の性質

初仕事は、ナスの採種から

年末・元旦と雪が降らず、曇りか雨という天気でしたが本日昼ころから牡丹雪になり気温も下がったので、初仕事は風呂場での採種作業にしました。10月、畑の後始末時に思いつきで採っておいた中島巾着2個を玄関の軒先に置いたまま腐敗させていました。丸3ヶ月経過して腐敗臭もありますが、成熟した種は腐っていません。長岡巾着ナス15年の歴史とは明らかに違う100年の歴史を伝える本物の種です。

ハエの蛆もいました。雨水は当たらない場所ですが、茄子自体の水分で2ヶ月程度は水溜りのようになっていました。昨年、鉄腕ダッシュで150年間泥水の中にあった瓜の種が発芽した…という内容に疑問を持ったが、今回のこの茄子の様子から見て素人判断はしないほうがよさそうだと判断。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ビニールハウスに1つだけ成っていた賀茂ナスも追熟した様子。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

素手にて半割りにして確認。発芽能力は充分。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

水温30度ほどのシャワーでゴミや汚れを落とすが茄子の腐敗した特有のドブ悪臭がした。気温1桁の浴室でなかったら嗚咽していた。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ザルの網目に擦り付けるように小さなゴミを落とす。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

同じ茄子の木から採った実でも1つ1つ性質が違う。同じ種実から採った種も1つ1つ性質が違うのが中島巾着。100年以上前に小川文四郎さんが長岡人に受け入れてもらうために、長岡に元々あった在来種と巾着ナスを交配させたといいます。その種しか現存していないために他の茄に比べて変質しやすいのです。「梨ナスは他の花粉がついてもそんげに変わらんろも、丸ナス(中島巾着)は他の花粉がつくとすぐ判る」と言われてきました。遺伝の法則が出るのでしょう。

元来、野菜のなかで茄は性質変化しやすい野菜であるという。それだけに伝統野菜を残していくには地域の歴史を知る者と伝統野菜に直接深く関わって来た者がそれを伝えなければならないはずなのだが…長岡は違う。

平成30年元日のナス畑は小雪

雪の土手でソリ遊びをする子供の姿が年々減っています。見渡してもソリで滑った跡はありません。この周辺の子供達は、この土手でスキーを覚えました。

平成29年7月に日本中で最も評判の高い新潟県内のホテルから突然「畑を見学させてくださいませんか?」と電話があり、この畑にシェフが来られました。中島巾着と梨ナスの説明をして少量ですがナスを持ってかえっていただきました。後日連絡があり「今まで使ってきた長岡巾着なすと中島巾着は全然違いました。本物の意味がわかりました。お客様に出したいのでまとめて送っていただけませんか。」と何回もリピートしていただきました。一流料理店で数多くの食材を使用し修行してきた料理人だからこそ食材は使えば判ってもらえる!のだと再認識しました。種の来歴と歴史が培ってきた本物の中島巾着だからこその評価がいただけたことに、この中島地域の先祖の苦労が認めてもらえたようでとても嬉しくなりました。

 

大晦日、昼1時のナス畑

大晦日に里芋の出荷調整で出た土を畑に戻してきました。一般道はまったく雪がないものの、土手から河川敷に降りると10cm程度の雪。軽ワンボックス4WDに土の入った肥料袋を載せて土手下に下りようとするも、車の底部が雪の吹き溜まりに乗り上げてしまったので。車を変えて誰も走っていない雪道を数百メートル無理矢理走破しました。

文字や言葉で伝わらないのが味と香りです。ネットやラジオで散見する長岡巾着ナスの情報を鵜呑みにしている方は、中島巾着100年の現場に来て、見て、感じてください。長岡巾着ナスと中島巾着を食べ比べることを避けている人は是非、我家にご連絡ください。本当の歴史と真実がご理解いただけるはずです。平成30年元旦

 

中島巾着ナスの故郷

「明治時代に新潟県長岡市中島1丁目の小川文四郎さんに嫁いだ女性が長岡の巾着ナス栽培の始まりだった。」と言われています。貧しかった農家の娘さんだったために嫁入りの際に門外不出の種を嫁入り道具の代わりとして親から、そっと渡された…と小川家の身内のKさんという大正10年うまれの方から証言を得ています。(本年他界されましたが、取材時の音声は録音してあります)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

嫁入りの際は信濃川を行き来する船で長岡に来たということでした。当時の小川家は中島地区の農家のまとめ役的存在であったらしいとのこと。当時も昭和初期も中島地区の農家の婚姻は近所同士や市内から嫁をもらうことが殆どでしたが、何故、40キロ以上も離れた場所から嫁入りしてきたのか今となっては想像するしかありません。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

田上町保明新田という場所から嫁いでおり、その実家はMといい(時期が来たら発表します)屋号もあります。2014年にその地へ行きましたが、土地の殆どは田んぼであり畑は信濃川の中洲だけでした。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

明治期の長岡市中島地域の河川敷畑の状況を知らないので比べようもないが、水害がなければ副食としてのナス栽培は現在の地下水位を想像しても優れた環境であることは間違いない。中島巾着の先祖がはたして、この地域で栽培されていた亀田巾着だったのか?となると…故・瀬古龍雄さんが残してくれた音声から考えて、俺としては「中島巾着は亀田巾着とは断言できないのである。」

ネットが一人歩きして『亀田巾着が長岡巾着ナスになった』と断定文字になっているものもあるが、長岡巾着ナス自体が本家の中島巾着と別物に変化しているのである。長岡巾着ナスという新品種の元種は誰のものであろうか?

 

ナス種の選抜について

昨日夕方、ミゾレ交じりの雨の中をチェーンソーで薪伐りを終えた頃から雪に変わり、今朝は気温0度積雪10cm程度でした。昨日の天気予報で大雪予報が出たので、昨日は信濃川増水後の左岸農道が泥道のままなのでトラックがスタックして脱出できない場合、トラクターで牽引するために畑に置いたままにしていた13馬力のヤンマートラクターを回収し、大根収獲用に畑に置いていた運搬車を回収したりで体は冷え切り、帰宅後に入浴食事後は疲れで寝てしまった。

今期、ナスの生育は長岡市においても新潟市においても不作だった。植え付け前から低温であるのを小田切さんと話していたのだが、シーズン通して低温の影響が顕著であった。

今年一番期待していた選抜種。

例年通りであれば、選抜した中島巾着(土田系)の性質が他の土田系・米重種店の小林六郎系(平成25年採種)・県保存の米三種苗の丸山系(昭和62年保存)と比較できたのだが、今年の天候では比較することができなかった。自根であることが採種条件であるので今期のような年は早期のうちに褐紋病が蔓延してしまったことも採種断念の要因のひとつである。ただし、全てのナスが枯れた後に黄色く成熟した特徴を備えた形の良い種実は、もしもの時のために採っておいたが余程のことがない限りは播種することはない。来年は今年と同じ種を同量播種して比較調査のやり直しである。梨ナスを含む水ナス系の比較調査は悪条件のなかではあったが、非常に興味深い面白い結果が出た。この結果を見ることができたのはひとえに米三種苗の鳥越さんのおかげである。

秋にナスの発芽・雑草万歳!!

毎日夕方の2時間ほどをナス畑の片付け作業にしている。今シーズンは中島巾着は、30メートル畝を11畝、栽培本数は約450本。

今期は夜間温度が低く、不作であった。片付け途中の畑。

梨ナスと中島巾着、どちらが低温に弱いかというと、本当の梨ナス・中島巾着は共に低温に弱く、黒系梨ナスは低温に比較的強い。同じ梨ナスと呼ばれるナスでもこれだけ性質が違うのは元来の出自が違うことが明らかである。

ナスの木の平均高さは120センチと低かった。

雑草の生える圃場は健康である。アニメ「風の谷のナウシカ」で腐海の植物が瘴気(しょうき)を放出しながら大地を浄化していくシーンがあった。現実世界でも植物を含む生物は意味があって存在し、それぞれが何らかの繋がりをもって絶妙な均衡を保って生命を繋ぎ残してきた…と思いたい。除草剤や農薬に弱い体質の俺の言い訳である。

外来植物セイタカアワダチソウは悪として捉えられているが、人間には毒消しの妙薬であるという。畑一面にセイタカアワダチソウが繁茂するとスギナさえも駆逐されてしまう。そしてセイタカアワダチソウ自体も自身のアレロパシー作用で消滅するという。本当に悪草なのか…?これを調べるために2反の畑をアワダチソウだらけにして3年目と6年目になった。6年目の畑は今年、植生変化を来たしてマメ科植物が畑の半分を占めた。昨年収獲したアワダチソウは乾燥させてあるので煎じて飲むつもりである。

中島巾着として収獲するに値しない木を放っていたので、成熟して落下したナスは発芽していた。

イチョウの葉には害虫が一切つかない。我家にもイチョウの木があるので昔から父親は、畑に撒いていた。俺は、イチョウの葉をミキサーでトロトロにして水で濾した液を野菜に散布する。俺独自の忌避剤であるが効果は?である。来年は比較試験をする。

 

本物を知る人

久々に更新します。我家を含めて、中島地区の専業百姓は3軒です。もう一軒、代々野菜百姓をなさっておられる方がおられますが、定年帰農で自家消費生産の水田さんです。90歳以上になるまで現役で自家採種して頑張っておられたお父さんが他界されてからの帰農でした。

中島の百姓の基本は自家採種。大正時代には中島の百姓が組織した「種苗組合」も存在しており、市内の種屋が種を仕入れに来ていました。土田家に現存する大正・昭和の売り掛け帳は、長岡市唯一の野菜の歴史を物語る宝であると思う。その中には老舗の有名料亭・有名料理屋の名前が連なっている。中島巾着の中でも「重兵衛なす」と長岡大手通りの「五十の市(ごとおのいち)」で有名を馳せていた事実がある。

現代に於いて、「巾着ナス」とか「長岡巾着ナス」と呼ばれているナスの殆どは、丸味が強くて実が柔らかく扁平にも巾着にすらならない性質である。長岡野菜ブランド協会が中島巾着を元に丸いものを選抜していった結果である。もう元には戻らないほどに性質変化し、伝統とは遠くはなれた伝統破壊した巾着にならない巾着ナスの末路である。種屋が県外の採種業者に種取りさせているのではそれも当然である。

食べ比べてもらえば判るはずであるが、「本物の中島巾着」を知る料理人は少ない。「長岡巾着ナスを伝統野菜だ」と言い張って憚らない30代40代の創作料理人や仲買人が巾を利かせているのだから情けない。

今年7月中旬、「土田さんの茄は販売しているのですか?売っていただけるのであれば畑を見させてもらえませんか?」と女性から電話がありました。シェフ(料理人)と2人で来るということでした。中島巾着と梨ナスを畑で説明して中島巾着と長岡巾着ナスの違い・種屋の梨ナスと自家採種で作り続けてきた梨ナス2系統の違いを説明して、「食べ比べれば判ります」と言って畑のナスを持って帰ってもらいました。後日、シェフから電話で「今まで長岡の業者から買っていた長岡巾着ナスとは全然違いました。中島巾着と本当の梨ナスを送ってください。」とのことでした。野菜の味とは微妙なものですが、その違いを判断できる調理人はなかなかいません。本物を見分ける能力の高い一流のシェフと出会いました。

我家の中島巾着は、長岡で初めてこのナスを栽培した小川文四郎氏の子供さんが購入し続けていた。そして中島巾着の名前を全国に紹介した瀬古龍雄氏が唯一認めた本物の中島巾着である。

 

ナスの接木と自根の違い

今春のナス畑の片付け作業をした時の画像です。昨年、新潟市農業活性化研究センターの御厚意で土田系の中島巾着の高接苗・多段接苗を各15本頂きました。その根量の差を記録するための大切な一部資料です。

左から、中島巾着の自根。真中、中島巾着の台太郎の高接ぎ。中島巾着の多段接ぎ

病害の発生についての調査と最近の接木方法による抵抗性を調べるために新潟市から長岡市まで苗を届けていただいたものです。病害調査の結果は後日にします。

 

接木による根量の差は明らかです。

自根の中島巾着は片手で抜くことができますが、接木のものは両手で抜こうとしても大変で腰も肩腕関節も無理がかかるほどの力が必要でした。根量の違いがナスの実の形や味・硬軟に関係してくる事もわかりました。

 

中島の百姓の先人たちが何故、自根にこだわってきたかが、ようやくわかりました。第一に春の片付け作業が大変です。根量が少ないからこその食味があること。100年に渡る中島百姓の経験は自根だから活かせるものだということ。接木は実の成長が早い気がしますし、樹が暴れる傾向が強いこと、養分水分の吸収が良いために枝葉の処理に手間がかかります。ただし、病気に強いという最大の理由から接木も考慮する必要が出て来るかもしれません。接木の中島巾着を栽培するには何年も試験栽培をしてデータを記録しないと本来の中島巾着を食べることは難しいかもしれません。自根と接木は一長一短で何を優先するかで判断しなければいけない時期が来ると思います。しかし採種は性質維持の点から自根が絶対条件です。

毎日忙しく苗管理

2週間前の画像です。

大阪へ行く直前に播種した中島巾着と本当の梨ナスなどをセルポットから10.5センチのポットへ移植している画像です。昔から変わらない時期の播種移植によって性質維持ができることを知らない農家ばかりが長岡には増えました。ナスを1月や2月初めに播種してハウス栽培して「伝統野菜だ」などと自慢しているそんな無知な農家・人物ほど話上手でマスコミに取り上げられ、何も知らない若い世代が喜び飛びついています。裸の王様に「あの人は裸だ」と言うと逆に責められる変な時代が長岡の農業界に出来上がっています。嘆々

2粒播きするので、具合を見て1本にします。

128穴と72穴のセルポットを使い分けします。画像は128穴セルポットで発芽率が悪い種は128穴2粒播きにします。72穴の場合は発芽率が良い種であり稚苗育苗期間を長くとってポットへの移植時期を先延ばしにすることで繁忙期の移植調整としています。したがって収獲時期は多少ズレ込むことになります。夫婦2人で昔からの変わらぬ伝統を守り続けるには家族農業がいかに大切であるか、そして工夫が必要であることが解るかと思います。 今春、昔の農具を使って温床仕事を行ってみましたが、その大変さは近代農業の細かな道具一つ一つで簡略化と時間の節約に繋がっていることが納得できました。伝統野菜がどのようにして性質維持され守られてきたか?を知るには、時には昔の道具を使って仕事する必要があることに気付かされました。

中島巾着1回目の種まき

平成29年度1回目に播く種は9種

巾着ナスの栽培は明治期に中島から始まり、昭和以降に次第に市内に栽培が広まった。種は中島地区百姓が種屋に卸していたが稲作農家や一般人には野菜の苗起し(育苗)が難しいので中島の百姓に知り合いがいる人は中島の百姓から苗を買っていたという。

今年の種は2014年の土田系5種のほか2016年に急遽採種を決めた画像左端の袋「典型的中島巾着の性質が初期~最終期まで続いた木の種」と、2014年に県園試から戻してもらった丸山系の採取選抜種。県園試の中島巾着種は13種類のうち形質優先を1種・耐病性優先を1種選抜した。

6代目が遺してくれた貴重な栽培記録

農作業には口伝と文書があるが、口伝の場合は他言無用の百姓にとっての企業秘密が多い。栽培記録と合わせて作業すると歴史と経験に培われた隠された秘密が見えてくる。巾着ナスも梨ナスも性質が解らない者には「巾着ナスの栽培は難しい」と自慢するように言う。鉄腕ダッシュに出演した古正寺の稲作農家がそれだ。大島地区の米重種苗で巾着ナスの種を買っていたというK・Kさんその人ある。

巾着ナスの性質を知らないから栽培が難しいと言うのだ。中島の百姓は誰一人「むずかしい」とは言わなかった。

春の彼岸が播種の目安である。

3月15日、「1回目のオクナス播き」。欲深い素人ほど早播きをして儲けようとするが、それが失敗の元。おまけに実も種も性質を変えてしまう愚かな行為でもある。鈴虫寺では一年中鈴虫を鳴かせるようにしたというが、本来の鈴虫の性質を変えることで通年虫音が聞けるのだ。

「種蒔きは彼岸前にするな」7代続く野菜一筋の我家の教えである。2回目の播種は3月下旬~4月上旬。何かしらの理由で1回目の発芽が悪かった場合を考慮して3月15日という少し早い時期に播種しているのだ。

 

 

 

 

ナス種の箱播き

平成29年度のナスの播種が昨日より始まった。昨年、屋上の播種用ハウスを解体したために今年は地上のビニールハウスでの播種になるが、周囲の木々や建物で日照や温度管理が難しいと考えたので、ポット播種と箱播き両方で行うことにした。

セルポットは梨ナス128穴。中島巾着72穴。

100円ショップの3連タッパーに種とジベレリン液を入れてある。自分で交配した試作品種(F1)と祖父の代からの中島巾着、俺が繰り返し選抜した種。ピンセットで1粒ずつのものと、種の状態を見て2粒ずつのものに分けて種を置いていく。2粒のナスは発芽後に良いものを残してハサミで間引く。箱播きは種のムダが多いが選抜する重要性からは理に適っている。今年は中島巾着を早播き(本日)・標準播き(3月末~4月上旬)の2回にしてリスク分散することにした。

箱播きは場所の関係で苗代箱を代用

6代目の父親が元気な頃は箱播きのみであった。苗箱深さも8センチと深かった。発芽後一回目の移植で苗の選抜、後に2回~3回の苗の選抜をするので、多い年には計4回の苗選抜をしていた。しかし、根の活着に時間を取られてしまう。母親や俺達夫婦の4人作業だったからできたこと。この選抜こそが中島巾着の性質維持の要。他地区の農家や種屋には絶対に真似できない技術(代々受け継いだ門外不出の経験からの知識)である。本物の百姓の技は外の地域には出なかったのだ。本当の伝統を知らない者が嘘の伝統を自慢する長岡市の現状を祖父達が見たらなんと言うだろうか…

箱播きで種が散乱しないように向こう側に白いパネルを立ててある。

明治の記録では、種を微温湯に暫く浸し置き、それを口に含んで播き床(箱)へ吐き播きするとあるが、これは難しい。また当時の温床熱源は発酵熱なので管理に苦労したであろうことが良くわかる。それを明治期~昭和20年代まで中島の百姓達はやっていた。 だからこそ長岡で一番の野菜技術者を有した中島地域の百姓が長岡市史や新潟県栽培記録に記されているのだ。農家と百姓の違いである。種も知識も受け継いでいるものが根本から百姓なのだ。