月別アーカイブ: 2017年3月

発芽

水茄系

長岡の黒系梨ナスは、ハッキリ言ってまともなものがありません。これは、種屋さんも認識しています。 現存する黒系梨ナスで唯一まともなものは中ノ島(中島ではありません)の農家が採種しているものだけですが、種の入手は不可能です。

土田系の中島巾着・平成29年②

2粒播きにして様子を見て1本にする。引き抜くと根が傷むのでハサミで切るのです。

とあるF1メロンを食べた後に採種し、遊びで播種した。

F1を採種してどんなメロンが…まともな品物は採れませんので自家消費用です。

ブロッコリー

下は葉菜類

ネギの播種

本日はペーパーポットへのネギ播種。昨年は裸種子のみの播種だったが、今年はコート種子と裸種子の両方を使うことにした。自作の播種機は展開したペーパーホットを上段と下段に分けて播く2段階方式であり、コート種子の場合は1粒播きしかできない。

6000粒の種の8割を1本ネギで栽培。残りは1穴2本栽培の予定。裸種子は全て2本栽培。コート種子用の播種板を急遽製作した。製作時間は2時間。板材は3mm透明ポリカーボネート。穴径は5.2ミリ、穴の切削口を7.0ミリドリルで面取り加工することでコート種子が穴に入りやすくした。メーカーの播種版は全面播種用で扱い難いので半面播種は、種が確実に入り易く確認も容易であった。また軽量であるために扱いも楽であった。ただし作業は2回必要である。

裸種子に関しては、ネギの種の大きさがそれぞれ違うこと、品種による種子の大きさが違うことなどから時間と作業性の問題が顕著になってきた。春の忙しい時期に時間単位計算をすると、全ての種をコート種子に切り替えた方が時間単位収益が上がる。

来期からはコート種子のみに切り替えることにした。

梨ナス・水茄の発芽

設定温度28度・夜間設定20~22度。ナスの発芽は本日確認

1000W、2.5坪の発芽温床をビニールハウス内に作って初めての発芽確認。ビニールハウスと温床ビニールの2重温床となるので、まめな日中の温度管理が必要。夜間と気温の低い時は新聞紙または防草シートを掛けて遮光保温保湿した。極力乾燥に注意。

雪国の家庭菜園の人は温床がない限り、種からのナス栽培は向かない。なるべく苗を買うべきです。低温障害を避けるためにも5月中旬~下旬の定植を勧めます。どうしても種から始めたい人は5月連休以降にビニールマルチを使用し、種まき後に100円ショップなどで売られている透明なドンブリまたはプラコップなどに穴を開け、キャップとして被せて保温して発芽促進してください。元肥を多くし過ぎると発芽後に肥料焼けをして枯れる恐れがあります。(生まれたばかりの赤ちゃんに、いきなり大人の栄養ドリンクや御飯をたべさせるようなものです)

葉菜類の温床。ブロッコリーも本日発芽。

瓜類やブロッコリーは発芽が早い。レタスは何処に播いても薄播きなら大抵発芽するうえに移植に強いので、移植時の手抜きを考えるだけで良い。レタスの利点は害虫がつかないことに尽きる。播種済みの葉菜類はブロッコリー・レタス・セロリ・パセリ。果菜類はメロン・スイカ・カボチャ・トマト・ナス。

ビニールハウスの面積が年々狭くせざるを得なくなっているので、効率を考えた本圃への定植でハウス内のローテーションする予定。今年は早出し定植をせざるを得ないので畑にビニールトンネルを多く作る必要がある。

 

セミの幼虫

夕方5時過ぎに温床ケーブルを埋設するための土を取りに信濃川河川敷の畑に行った。畑脇の雑木林の土を掘っていた時に出てきたワンザ「旧長岡地域限定のセミの幼虫の方言名」

柳の大木があり、根が張っていた場所にいた。

中足と後足が長いのが特徴的でゆっくりと動く。

小さくても木をシッカリ掴むための前足はセミそのもの。

何齢虫だろうか。見飽きない面白い。でも自然に還さなくてはならない。

土中にいる時は産毛で雑菌などから身を守っている。

虫の生態は面白い。蝶類や甲虫類そしてバッタ類の幼虫期~サナギ・変態する過程は変身そのもの。セミの場合は長い年月を土中で過ごすために一般人が生態を観察することは難しい。

農業者は自然と接する機会の多い職業。専門の研究者が求め続けている発見を我々農業者が偶然見ていても興味がなければ見過ごしてしまう。

 

中島巾着1回目の種まき

平成29年度1回目に播く種は9種

巾着ナスの栽培は明治期に中島から始まり、昭和以降に次第に市内に栽培が広まった。種は中島地区百姓が種屋に卸していたが稲作農家や一般人には野菜の苗起し(育苗)が難しいので中島の百姓に知り合いがいる人は中島の百姓から苗を買っていたという。

今年の種は2014年の土田系5種のほか2016年に急遽採種を決めた画像左端の袋「典型的中島巾着の性質が初期~最終期まで続いた木の種」と、2014年に県園試から戻してもらった丸山系の採取選抜種。県園試の中島巾着種は13種類のうち形質優先を1種・耐病性優先を1種選抜した。

6代目が遺してくれた貴重な栽培記録

農作業には口伝と文書があるが、口伝の場合は他言無用の百姓にとっての企業秘密が多い。栽培記録と合わせて作業すると歴史と経験に培われた隠された秘密が見えてくる。巾着ナスも梨ナスも性質が解らない者には「巾着ナスの栽培は難しい」と自慢するように言う。鉄腕ダッシュに出演した古正寺の稲作農家がそれだ。大島地区の米重種苗で巾着ナスの種を買っていたというK・Kさんその人ある。

巾着ナスの性質を知らないから栽培が難しいと言うのだ。中島の百姓は誰一人「むずかしい」とは言わなかった。

春の彼岸が播種の目安である。

3月15日、「1回目のオクナス播き」。欲深い素人ほど早播きをして儲けようとするが、それが失敗の元。おまけに実も種も性質を変えてしまう愚かな行為でもある。鈴虫寺では一年中鈴虫を鳴かせるようにしたというが、本来の鈴虫の性質を変えることで通年虫音が聞けるのだ。

「種蒔きは彼岸前にするな」7代続く野菜一筋の我家の教えである。2回目の播種は3月下旬~4月上旬。何かしらの理由で1回目の発芽が悪かった場合を考慮して3月15日という少し早い時期に播種しているのだ。

 

 

 

 

セルトレーの土入れ道具

土入れ道具(左)。右の緑色のは手箕

セルトレーがピッタリ入るように3mm厚のカイダック樹脂で囲い固定、底板の5mm厚合板に取り付けてある。培土をトレーの上に載せて板で摺り切る。余った培土は右横に落とす。

たったこれだけの手作り道具だが、培土があちこちに落ちないし作業効率が上がる。5mm厚の合板で軽くて強度も充分である。製薬会社のCM同様に「あったらいいな」を形にするかしないかで仕事の能率は変わるし、体への負担も軽くなる。でも特許や実用新案になるようなものはブログには出さないのです。

ナス種の箱播き

平成29年度のナスの播種が昨日より始まった。昨年、屋上の播種用ハウスを解体したために今年は地上のビニールハウスでの播種になるが、周囲の木々や建物で日照や温度管理が難しいと考えたので、ポット播種と箱播き両方で行うことにした。

セルポットは梨ナス128穴。中島巾着72穴。

100円ショップの3連タッパーに種とジベレリン液を入れてある。自分で交配した試作品種(F1)と祖父の代からの中島巾着、俺が繰り返し選抜した種。ピンセットで1粒ずつのものと、種の状態を見て2粒ずつのものに分けて種を置いていく。2粒のナスは発芽後に良いものを残してハサミで間引く。箱播きは種のムダが多いが選抜する重要性からは理に適っている。今年は中島巾着を早播き(本日)・標準播き(3月末~4月上旬)の2回にしてリスク分散することにした。

箱播きは場所の関係で苗代箱を代用

6代目の父親が元気な頃は箱播きのみであった。苗箱深さも8センチと深かった。発芽後一回目の移植で苗の選抜、後に2回~3回の苗の選抜をするので、多い年には計4回の苗選抜をしていた。しかし、根の活着に時間を取られてしまう。母親や俺達夫婦の4人作業だったからできたこと。この選抜こそが中島巾着の性質維持の要。他地区の農家や種屋には絶対に真似できない技術(代々受け継いだ門外不出の経験からの知識)である。本物の百姓の技は外の地域には出なかったのだ。本当の伝統を知らない者が嘘の伝統を自慢する長岡市の現状を祖父達が見たらなんと言うだろうか…

箱播きで種が散乱しないように向こう側に白いパネルを立ててある。

明治の記録では、種を微温湯に暫く浸し置き、それを口に含んで播き床(箱)へ吐き播きするとあるが、これは難しい。また当時の温床熱源は発酵熱なので管理に苦労したであろうことが良くわかる。それを明治期~昭和20年代まで中島の百姓達はやっていた。 だからこそ長岡で一番の野菜技術者を有した中島地域の百姓が長岡市史や新潟県栽培記録に記されているのだ。農家と百姓の違いである。種も知識も受け継いでいるものが根本から百姓なのだ。

 

 

 

 

 

播種準備のジベレリン

食紅で色がついてます。

自家採取は採種状態や保存状態で発芽率が変化します。俺が恩師と仰ぐ小田切文朗さんにジベレリン処理の話を聞いてからというもの、ナスを筆頭に自家採種した種を播種する前には必ず行うのです。

新潟県伝統野菜研究の第一人者であった瀬古龍雄さんが小田切さんに教えたという言葉を教えてもらいました。「ナスの種は採種して1年おいてからの方が発芽率が良い」 箱播きで播種していたころには気付きませんでしたが、セルポットを使うようになって納得です。でも、選抜採種試験を行っていると一年を待てないのです。

父親や地元野菜専業百姓の先人達からの教え、専門研究者から教えてもらえることの幸せを感じる。最後の中島の百姓家であるからであろうか、昔は隣家でさえも栽培のノウハウは教えてくれなかった中島地区の百姓達でしたが、最後であることからか色々な情報や教えが集まるようになりました。長岡のナスの第一人者を自負できるまでになりました。

温床づくり。外は雪。

長岡市での温床作りの歴史は、俺の住む中島(なかじま)地区が発祥であると伝わっている。長岡市の郷土史に中島の温床の記録が記載されている。 6代目の父親は、古畳を温床枠に利用していた。畑に苗出し後はそれを堆肥化して培土として使っていた。

畳の切断は労力を必要とするので、今年からはスタイロフォームを使用。

昔は高価で一般入手が大変だった厚手の断熱材も5センチ厚程度なら近隣のホームセンターで一枚1500円。45センチ巾に切断するのもカッターで済む。スタイロは傷付き易く割れやすいのでビニールマルチで覆ってある。通路側には外壁材を防護板として廃品利用。

下地材として、昨年使った籾殻と畳をばらしたワラ・土を敷く。

僅か2ヶ月の育苗に結構な労力を必要とする。昔の百姓は残飯などを集めて発酵させたものを熱源として利用していた。無駄の無いリサイクルがなされていた。今ではビニール・ガラス・樹脂などを使用するが、昔は和紙に油や柿渋を塗った物を使って保温していたのだ。その実際を知る世代もあと数年でいなくなってしまうだろう。地域農業の歴史を記録するのも大事なことなのである。農業知識を持たない者ではその役目を果たすことはできない。

虫を生かす農

土作りに石灰窒素・過燐酸を使うかどうか迷うときがある。

タタミと籾殻、若干の土。
自家製種まき培土と市販種まき培土

上画像、左の土は3年かけて虫やミミズのチカラを借りて作った培土。画像右は市販種まき培土に少量の発酵籾殻を混ぜたもの。

土作りのために石灰窒素や農薬を使うリスクの第一は益虫と微生物を殺すこと。

土作りにおいて、良い面と悪い面をいつも天秤にかけている俺はまだ篤農とはいえん。親父は言っていた「土を買うようになったら百姓らねぇこて。」

益虫にもなれば最悪の害虫でもあるコガネムシ類。

俺が子供の頃、春になると父親は、温床土の中のカブトムシの幼虫を次々と潰していた。「もったいない。俺にくれ。」と言うと親父は「春まではイイろも、これから根を食うヤツはダメら」と言っていた。成虫にして儲けるような意識はなかったようだ。安いときは一個1円2円の野菜を夫婦2人で一日頑張って出荷して、日の出前から夜中まで必死に働いて500円にしかならない事がザラだった時代。その頃、カブトムシ1匹が200円~の卸値でペットショップは買い取っていたのだ。いくら金になったとしてもカブトムシを売るようでは親父のプライドが許さなかったのだろう。