月別アーカイブ: 2017年4月

毎日忙しく苗管理

2週間前の画像です。

大阪へ行く直前に播種した中島巾着と本当の梨ナスなどをセルポットから10.5センチのポットへ移植している画像です。昔から変わらない時期の播種移植によって性質維持ができることを知らない農家ばかりが長岡には増えました。ナスを1月や2月初めに播種してハウス栽培して「伝統野菜だ」などと自慢しているそんな無知な農家・人物ほど話上手でマスコミに取り上げられ、何も知らない若い世代が喜び飛びついています。裸の王様に「あの人は裸だ」と言うと逆に責められる変な時代が長岡の農業界に出来上がっています。嘆々

2粒播きするので、具合を見て1本にします。

128穴と72穴のセルポットを使い分けします。画像は128穴セルポットで発芽率が悪い種は128穴2粒播きにします。72穴の場合は発芽率が良い種であり稚苗育苗期間を長くとってポットへの移植時期を先延ばしにすることで繁忙期の移植調整としています。したがって収獲時期は多少ズレ込むことになります。夫婦2人で昔からの変わらぬ伝統を守り続けるには家族農業がいかに大切であるか、そして工夫が必要であることが解るかと思います。 今春、昔の農具を使って温床仕事を行ってみましたが、その大変さは近代農業の細かな道具一つ一つで簡略化と時間の節約に繋がっていることが納得できました。伝統野菜がどのようにして性質維持され守られてきたか?を知るには、時には昔の道具を使って仕事する必要があることに気付かされました。

糸瓜(いとうり)の種

長岡の糸瓜について6代目の父親は、大まかに4種に分けており、そのうち2種を良品として系統保存していました。

6代目の手書き封筒

細長形である糸瓜、平成18年採種。瓜の文字が爪と間違っている。

忙しかったのか薄皮がついている

俵型の糸瓜、平成18年採種。自家採種は歴史的に充分な知識の蓄積があって初めて成される事です。単に採種するのは誰でも出来ることですが、昔からの性質を受け継いでいる種を残すには世代を超えた知識経験の蓄積がなくてはできません。

父親達は前年度に採種した種から野菜を育てて「違いを発見したら種を戻す」ことをしてきました。「種を戻す」とは、違いのある前年の種を廃棄して数年前に採種した種まで遡って改めて播種することです。百姓が種の伝統を守るには1代2代では築けない土台と歴史があってのことなのです。

地元の種屋さんが百姓の畑を廻って野菜を見て食べることをしなくなり、サカタやタキイなどの大手種苗会社の単なる販売店になってしまい、昔からの自店の種を忘れてしまう時代になったのは、本当の百姓が減って農家が増えたためだと思います。俺は行政や青果市場に馬鹿にされても、親父達のような頑固な百姓として一生を全うするつもりです。

 

 

貝塚、泉州水茄を育む水

ナスは品種に関係なく、水と温度が必要な野菜。本当の梨ナスにも中島巾着にも水は不可欠です。長岡では信濃川河畔の土質により水分を補給していますが、乾燥期には樹勢が衰えて良いナスが獲れなくなります。

高い山を多く有する新潟県は雪が降ることもあり通年通して川水が豊かですが、大阪にはそのような山はありません。 貝塚地区の農家はハウス栽培でシーズン通して瑞々しく色艶の良い泉州水茄を生産しているのを画像で見てたので、どのように栽培地に水を供給しているのか興味がありました。

地区の農家が共同で管理している池

圃場から歩いて数分の場所に大きな池がある。地図で見るとこの地域には昔から多くの溜池が存在します。河川の水を利用したり井戸を掘って汲み上げて利用することはあまりないらしい。先の水門を開くと池の用水が流れる。

ゴミなどは流れていません

流れに沿ってそよそよと揺らぐ川藻が植生として存在している。用水としての水も綺麗である。

樋板で閉じて必要な水路だけに流す

都市の中での農業は住民の理解と協力のうえに成り立つのです。新潟県は何処も水が絶えることなく大量に流れていますが、大阪では水を大切に扱っているのが判りました。

温室の方向へ流れる用水、泉州水茄の命である。
温室内の泉州水茄の株元へ散水中

気温・樹勢・天気などを考え必要な分量を見極めて水を止める。その後に池の水門を閉じる。ムダがない。そして効率第一の都市農業である。点在する畑が住民の目を和ませ自然を感じさせてくれるかぎり農業に理解が得られるだろう。騒音から早朝の機械操作ができないこと、乾燥期の風のときに耕運作業ができない、住宅地での防除作業、それらを考えると温室栽培は理に適っている。雪が降らないので連棟ハウスでの効率的栽培も可能である。

雪国の長岡との差を感じたが、何かを得なければならない。

大阪のナス栽培

先週、3月28日夜に大阪へ夜行バスで出発、翌29日から31日夕方まで大阪の泉州水茄栽培農家の北野さん宅へ3日間お邪魔して作業を手伝いながら泉州水茄の栽培現場を実体験させていただきました。また御厚意で馬場ナス生産農家の畠さんの栽培ハウスを北野さん森下博士夫妻と見学させてもらいました。2日目にはJAセンターで泉州水茄の今後についての話を聞くことができました。最終日には貝塚地区で種苗店を営み現在の泉州水茄の歴史の生き証人である藤原種苗・藤原健三さんから「黒い色の現在の泉州水ナスの育種の歴史」と貝塚のタマネギの話を聞くことができました。事前に知識と歴史などを予習していたので、長岡新潟のナス種の歴史と知識が巧くリンクして非常に興味深い話を聞くことができました。新潟県での黒系梨ナスの一般常識が覆るかもしれない貴重な話。

貴重な話は録音してあるので再度聞きなおして、不明な点を解決して今後書き残したいと思います。

地域の歴史はその地域の人に聞いただけでは絶対に理解できません。少しでも理解を深めるために一緒に作業して、自分の知識と経験を踏まえて質問しなければ的確な回答は得られないと考えます。大阪でお会いしたそれぞれの専門家の印象は「大きく打てば大きく返ってくるし、小さく打てば小さくしか戻ってこない」俺の百姓としての力量とナスへの想いがどれだけのものかを計られた旅でもありました。

若手の北野さんが紹介してくれた高齢の畠さんと藤原さんとの話は、本音の質問から導き出された貴重なものでした。