中島農家組合


本日の夕方から中島農家組合の「寄り合い」でした。 組合員は盛期の10分の1です。

会計報告と農協関係の報告があり、その後、昨年の総括や昔話などをしながら飲食でした。最年少の俺は酒が飲めないので大先輩方には物足りなかったと思いますが、そこは勘弁してもらっています。

長岡の野菜の歴史を築き守ってきたのが中島の農家だと言えます。 しかし、都市化の波に追われる様に、野菜一筋の真の百姓が消えて行ったのは寂しいかぎりです。その歴史を紐解く鍵を、この寄り合い話の中で見つけるのも俺の役目です。 小さな地域の歴史ですが、長岡の野菜の歴史は中島農家が作ってきたことは厳然たる事実なのです。巾着ナスや梨ナスなどは他地域の者には理解できない中島の百姓の歴史です。

酒を飲みながら語る先人の昔を聞くのが面白いと思えるようになったのは、俺も先行きが見えてきたからです。 その先人の手足は曲がり、変形変色し、体全体が悲鳴をあげているのに「生きてるうちは畑に出たい」と言っていました。

熱い太陽に焼かれようと大地を耕し続け、冷たい雨雪に打たれても、洪水に作物や機械を流されても、幾度も立ち上がって百姓としての矜持を持ち続け頑張ってきた証が体と言葉から滲み出ていました。

この先人の歴史の真実は、伝える者がいなければ消えてしまうものです。間違いなく正しく後世に残せるものがあったなら、それをしなければならない。残された時間のうちにやらなければいけません。

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