臺菜・体菜という漢字について


中島菜という伝統野菜がある。俺の住む地区に古くから伝わる菜葉である。この中島菜が山形の米沢に伝わったというが、その文書(もんじょ)を探している。

中島菜についての詳細を知る百姓はおそらく中島地区に数人いるかどうかであろう。中島菜と体菜の違いは株元の茎の太さで見分けるのが一番のようである。この中島菜をブランド協会は「長岡菜」として改名してしまっている。名前を変えてしまっては伝統として語ることはできまい。長岡巾着の改名と同様の恥をさらしている。

名前から伝統を探り、歴史と性質を語れてこそ伝統野菜なのである。

「体菜」「臺菜」はどちらも「たいな」と読める。「臺」とは「とう」とも読めるので「とうな」とも読める。種の袋に漢字で「臺菜」とだけ書かれて遠くの地方に伝わったとしたら「とうな」として伝わるか「たいな」として伝わるか…どちらであろうか。中島菜は新潟に伝わり女池菜になったとして間違いない…と中島の先人は言い切るがどうなのだろうか。名前を変えてしまうのは簡単であるが、名前を変えてしまうと歴史や種の移動経路がそこで途絶えてしまうのである。地元の歴史家であり校長先生まで勤めた今井雄介先生は「地名でも野菜の名前でも名前を変えてしまうのは歴史を変えて途絶えさせてしまうことで、歴史を馬鹿にしていることになる。絶対にしてはならんことだ。」と平成27年の夏に電話で言っておられた。

新潟の伝統野菜の歴史を探るのに限界の時代が来ている。新潟の在来種を調べて日本全国に紹介してくださった瀬古龍雄さんも既に鬼籍に入られてしまった。長岡の野菜の歴史は中島であることは確実であるのに長岡市の人々は全く関心を示さない。むしろ新潟市が中島の百姓と歴史に関心を持ってくれているのである。

新潟市のように専門的な知識を持つ職員が常駐している都市というのは目の付け所が違うのである。

「長岡市には農業の専門知識を有する職員がいない」と前農林部長が2度も言っていたが、この差は歴然である。長岡市はどの都市よりもやることが一歩も二歩も遅れており、後追いばかりしている。

 

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