ナス種の箱播き


平成29年度のナスの播種が昨日より始まった。昨年、屋上の播種用ハウスを解体したために今年は地上のビニールハウスでの播種になるが、周囲の木々や建物で日照や温度管理が難しいと考えたので、ポット播種と箱播き両方で行うことにした。

セルポットは梨ナス128穴。中島巾着72穴。

100円ショップの3連タッパーに種とジベレリン液を入れてある。自分で交配した試作品種(F1)と祖父の代からの中島巾着、俺が繰り返し選抜した種。ピンセットで1粒ずつのものと、種の状態を見て2粒ずつのものに分けて種を置いていく。2粒のナスは発芽後に良いものを残してハサミで間引く。箱播きは種のムダが多いが選抜する重要性からは理に適っている。今年は中島巾着を早播き(本日)・標準播き(3月末~4月上旬)の2回にしてリスク分散することにした。

箱播きは場所の関係で苗代箱を代用

6代目の父親が元気な頃は箱播きのみであった。苗箱深さも8センチと深かった。発芽後一回目の移植で苗の選抜、後に2回~3回の苗の選抜をするので、多い年には計4回の苗選抜をしていた。しかし、根の活着に時間を取られてしまう。母親や俺達夫婦の4人作業だったからできたこと。この選抜こそが中島巾着の性質維持の要。他地区の農家や種屋には絶対に真似できない技術(代々受け継いだ門外不出の経験からの知識)である。本物の百姓の技は外の地域には出なかったのだ。本当の伝統を知らない者が嘘の伝統を自慢する長岡市の現状を祖父達が見たらなんと言うだろうか…

箱播きで種が散乱しないように向こう側に白いパネルを立ててある。

明治の記録では、種を微温湯に暫く浸し置き、それを口に含んで播き床(箱)へ吐き播きするとあるが、これは難しい。また当時の温床熱源は発酵熱なので管理に苦労したであろうことが良くわかる。それを明治期~昭和20年代まで中島の百姓達はやっていた。 だからこそ長岡で一番の野菜技術者を有した中島地域の百姓が長岡市史や新潟県栽培記録に記されているのだ。農家と百姓の違いである。種も知識も受け継いでいるものが根本から百姓なのだ。

 

 

 

 

 

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