泥と汗の結晶・うたうたい富所正一さん


長岡農業高校の大先輩に、見附市の冨所正一(故人)がおられる。もう40年も前に亡くなられた見附弁丸出しの作詞作曲する「うたうたい」である。当時流行のフォークシンガーではない。富所さんが他界された当時の俺は14歳で中学2年生3学期頃、高校進学で一番重要な時期であった。県内唯一のデザイン科のある高田工業高校へ行きたかったが親に猛反対されていた。長岡から70キロも離れた有数の豪雪地である。あまりに貧しくて銀行や農協に借金すらさせてもらえない野菜農家の我家には、俺を高田に下宿させてやるゆとりなどなかった。 父母が、日の出前から夜12時近くまで野菜の収穫生産し、長岡中央青果市場へ1.5トントラックに目一杯の野菜を選別箱詰め出荷しても一日、千円になるかならないかの日々が続き、それが数年にも渡っていた。キュウリ・ナスなど5キロ詰1箱が10円20円だったのだ。父母の夏の睡眠時間は4時間なかったのである。今更ながら父母はよくやっていたと思う。

何十人もの人に貸し出した。「どうせ行き着くところは(死)同じだろうが…」歌詞は可笑しくも辛らつで意味が深い

長岡では野菜の価値が低かったので父親を含む中島の百姓は野菜の価値が高い高田の青果市場へ出荷するため毎日夜7時頃にトラックで通っていた。片道約2時間である。俺も中学2年・3年の夏休みはトラックに同乗した。そんな辛く汚く生活すら儘ならない野菜専業の百姓をする父母を見ていたので「俺は絶対に百姓にならない。家も継がない。」と決めていた。富所正一さんの訃報を地元新聞が記事にしており、追悼のレコードが枚数限定で注文販売されるというのが中学3年の春。残っていたお年玉でレコードを入手した。「お前(おめぇ)まだ春らかや」という冨所さんの一番有名な曲がタイトルである。 俺が中学1年の時にNHKFMリクエストアワーで良く流れていた歌である。地元のアマチュアフォークシンガーを集めて特集された番組にもちょくちょく出演していたのを聴いていたので、面白いコメディーソングだと思っていた。

レコードが届き、同梱されていた薄黄色の思い出話をまとめた冊子と、歌詞カードの裏面にアップで印刷された富所さんの顔写真を見ながら何度も繰り返してレコードを聴いた。志望校を断念させられたので受験勉強を一切することもなく、レコードを聴きながらスケッチブックに絵を描き続けた。百姓の跡取りということの劣等感・貧しいということの劣等感・人より劣っているという劣等感を歌にしていることがレコードを聴くうちに解った。俺と同じだった。自身の鬱屈した叫びを誰にも真似できない感性で歌に昇華した結果であったのだろう。恵まれた環境の人には理解できないものかもしれない。

何度も繰り返して読んだので色褪せ汚れている。

三男なのに後を継がされ苦労のうえに苦労を背負い続けた親父は「お前(おめぇ)は百姓の長男のがぁすけ、農業高校へ行け!高田なん、やる金なんかねぇ!」と俺に言い続けていた。レコードを聴いて「俺と同じ立場と想いをして生きていた人が長岡農業高校に通っていた。」と思うようになった。俺の中の劣等感が開き直りに変わった。受験勉強は一切やらなかった。滑り止めの二次募集も応募しなかったがそれは「高校に行かない子供の親は世間体が悪い」という親への反発と、農高へ行くしか道が与えてもらえなかった百姓の倅として生まれた俺の唯一の反抗だった。そして俺は冨所さんの10年後輩の農高生となった。収録曲『農業高校』の歌詞に出てくる「お前らは日本を背負って立つ大事な奴隷」と言ったアベ先生に授業を受けて同じことを言われた。『私の下にだれかいる』の歌詞「海を渡り(ブラジル)大きなことをするのでしょうか(大農園経営)」の話をするミサワ先生からも授業を受けたし、一年生時の副担だった。

収録曲に「通信簿・いなかもの・農業高校・お前まだ春らかや」など12曲がある。俺の父親が病で倒れて介護が必要になった平成21年から「泥と汗の結晶」という歌がいつも頭に流れている。『この泥はのぉ、昔の人がのぉ、汗水流してのぉ、働いてのぉ、その泥をお前の顔に塗りつけても恥ずかしいかのぉ、恥ずかしくねぇ人間にならなきゃぁいけねぇよ』という一節である。今、俺は破れて汚れた服を着て作業しているし普段着もほぼ同じである。継ぎはぎだらけであるがまだ着れる。土がこびりつき落ちないのでそのまま市役所にも農協の窓口にも行く。父親や富所さんと同じである。昔の人が守ってきたものを伝え残していくには貧しいうえに忙しすぎる。見た目や肩書きなど気にしている余地はない。劣等感と貧しさに耐えられる意地と開き直りは、他人にどう見られようと云われようと変えようがないのだ。

歌詞の意味を知り「同じだ」と感じたのは、百姓の倅だから。

ドラマ、大草原の小さな家でマイケルランドン演ずるお父さんが、同窓会で服のことを揶揄される場面がある。「最初はよそ行きだが古くなったら。次は仕事着に変わる。」最後は雑巾になるさ。とのセリフだったと記憶している。百姓は世界中、昔も今も同じなのかもしれない。話し上手で調子が良く、良い思いをしている百姓ばかりでない。金の匂いに敏感で宣伝上手な業者や、弱い者には目も向けない行政に疎まれる百姓がここにいる。歌は作れないが本物の伝統歴史を伝えることはできる。

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