中島巾着ナスの故郷


「明治時代に新潟県長岡市中島1丁目の小川文四郎さんに嫁いだ女性が長岡の巾着ナス栽培の始まりだった。」と言われています。貧しかった農家の娘さんだったために嫁入りの際に門外不出の種を嫁入り道具の代わりとして親から、そっと渡された…と小川家の身内のKさんという大正10年うまれの方から証言を得ています。(本年他界されましたが、取材時の音声は録音してあります)

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嫁入りの際は信濃川を行き来する船で長岡に来たということでした。当時の小川家は中島地区の農家のまとめ役的存在であったらしいとのこと。当時も昭和初期も中島地区の農家の婚姻は近所同士や市内から嫁をもらうことが殆どでしたが、何故、40キロ以上も離れた場所から嫁入りしてきたのか今となっては想像するしかありません。

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田上町保明新田という場所から嫁いでおり、その実家はMといい(時期が来たら発表します)屋号もあります。2014年にその地へ行きましたが、土地の殆どは田んぼであり畑は信濃川の中洲だけでした。

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明治期の長岡市中島地域の河川敷畑の状況を知らないので比べようもないが、水害がなければ副食としてのナス栽培は現在の地下水位を想像しても優れた環境であることは間違いない。中島巾着の先祖がはたして、この地域で栽培されていた亀田巾着だったのか?となると…故・瀬古龍雄さんが残してくれた音声から考えて、俺としては「中島巾着は亀田巾着とは断言できないのである。」

ネットが一人歩きして『亀田巾着が長岡巾着ナスになった』と断定文字になっているものもあるが、長岡巾着ナス自体が本家の中島巾着と別物に変化しているのである。長岡巾着ナスという新品種の元種は誰のものであろうか?

 

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