足軽百姓だから庭木は実が成るものばかり


11日雨の中、柿を収穫しました。写真は3日前に撮影したものです。

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甘柿です。形は平種無柿(渋)と同じで種もありませんが甘いです。青空と柿色に食に通じる美を感じます。

土田重兵衛の家は戊辰戦争終結の3代目まで信濃川の守りを固める足軽武士でした。足軽とは最下級の侍であり普段は農業などを生業とし、事があると武士としてお上に従って事にあたります。平和な江戸時代の足軽は実質、百姓などが本業でした。貧しく衣食に困窮する武士階級の庭木は実の成るものが主体でした。それは百姓も足軽も同じことです。
柿は保存が利くので冬場の糖分補給、血圧の薬、毎年春先の食糧不足(干し柿)として、信濃川のクルミ同様に重要な副食だったのです。
我家は昔から柿・梅・栗・梨などが敷地内に植えられていました。子供の頃から、梅の木で木登りをしていたので50歳過ぎても木に登って梅や柿を収穫しています。食用の実は成りませんが35年前には直径1メートル近くのケヤキの巨木があり、神社に請われて寄進しました。
足軽だった話をしたので…殿様が長岡城側より信濃川を渡河する時は現在の渡里町から船で対岸に渡り、対岸の主要道のある大島から長岡城に船で戻る時は中島の我家の裏手に着船することから、殿様の休憩場所として我家が指定されていたといいます。そのために、足軽でありながら破格の扱いを受けていたといいます。殿様から直々に金糸刺繍の家紋を賜り、それは現在も現存し長岡藩からの禄高証明とともに大切にしてあります。
先祖は戊辰戦争で会津、山形まで殿様に随行したといいますから、格の違いがありながら山本五十六元帥の生家である高野家と付き合いがあったのはこのようなことからかもしれません。

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