魚野川のニジマス釣り大会 山本五十六元帥と我家


本日は60km離れた魚沼で毎年恒例のニジマス釣り大会が開催されている…のだが、事務仕事のために参加をあきらめた。画像は今年6月に行われた大会の釣果。50センチが2匹。イワナ・ヤマメなどは今月一杯で禁漁になる。

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事務仕事とは我家の巾着ナスについてと中島地区の農業の歴史を知ってもらうための資料作りである。下画像は連合艦隊司令長官、山本五十六元帥の実姉様からの手紙である。祖母の管理が悪く、封書はボロボロになって紛失してしまったという。元帥の実家である高野家とは北越戊辰戦争で共に戦った関係からか、それ以前からなのかはハッキリしないが懇意にしてもらっていたそうです。祖父の末弟の名付け親が、元帥のお姉様です。「うちは、五十六だから、五十吉にしたらよい」と言われたそうです。そのためではないでしょうが、とても優秀な方で現役時代は新聞の校正などの仕事をしていたそうて、105歳まて新聞の誤字や文法間違いを見つけては新聞社に投書していたといいます。何歳の頃かわかりませんが名前が「五十吉」では都合が悪かったらしく「磯吉」に変えたと言ってました。。。終戦直後に大陸から引き上げてきたというので、新潟県長岡市出身で「五十吉」では進駐軍の目は厳しかったのか…。

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手紙には戦後、関東に引っ越す際、我家の野菜などを餞別に渡したお礼や、引越し先の状況などが詳細に書かれている。進駐軍のことや食糧事情などが簡潔に解りやすく書かれており、さすが長岡藩の名家の女性と頷くだけの達筆な文章です。

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祖父と祖父の弟が2人同時期にツツガムシ病を罹った時の見舞い記録。死亡率50パーセント以上。貧乏百姓の子供では絶対口にできない食べ物ばかり。当時の高級品がずらりと見舞い品として記録されている。「せめて死ぬ前に…」との気持ちが伝わる。

現在も信濃川流域で発生している、風土病のツツガムシ病。中島地区では古くから「島虫・赤虫」と云われる。島とは信濃川の中洲(島)で発生罹患するためである。赤虫とは原因となるダニの一種が赤かったり、刺し口が赤くなるためともいわれている。全身から高熱を出して死に至る。祖母も発病したが風呂桶の中に「雪しか・雪にお」の雪や氷、そして高熱を出した祖母を入れて何度も冷やしたという。30分もしないうちに風呂桶の中が「ぬるま湯」になったと聞く。命は助かったが高熱による後遺症が残った。

長岡に巾着ナスの種を持ってきた女性「小川さん」もツツガムシ病で亡くなっていると子孫の手記が残っている。幼い子供を3人残して…

中島農家は貧しかったので、いつも命懸けで野菜をつくり種と技術を守ってきた。伝統を受け継ぎ伝える意味とは、これらの苦労を知ることから始まる。

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