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土が締まる現象

12月22日に中島の百姓4軒の寄り合い兼忘年会がありました。86歳の丸山さんと長谷川さん、定年帰農で数年の水田さん、そして一番若い55歳の俺です。そこで話題の一番は、今年10月の信濃川の増水被害でした。「秋作は、ほぼ全滅であり、来春は早々に畑と農道復旧に追われることになる…」そんな話から来期の影響についても話しました。

河川敷の畑に冠水すると翌年の根菜類は奇形が増えます。画像の出水時には24時間以上、畑に川水が滞留しました。

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10月の台風では海抜の低い畑でおよそ1.5m深さの水圧が掛かりました。水の重さと、水を吸収することで微細な土の空間が消えて粘土化します。川水の運ぶ土などの栄養素は計り知れませんが、大根・長芋・ゴボウなどは締まった土のために伸びることが阻害されてしまいます。丸山さんが言うには「水がついた翌年はダメらろも、その次の年は良くなる」とのこと、水で締まった畑土に空気層が戻るということでしょうか。経験からの話を科学的に調査できたらと思います。

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水が退いた直後の農道では、あちこちで地中の空気が湧いていました。農道は普段からトラックや農機具が走っているので土中の空気層は少ないはずなのですが、これだけの空気が湧くことは、水の重さが及ぼす畑への影響を窺い知る材料になります。信濃川河川敷の畑が存在してきたからこそ長岡の伝統野菜が守られてきました。

 

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10月の増水で許容量以上の川水を吸ったために、今期のような雨続きでは雨水が地中に浸み込まない。畑が締まったことも原因。豊饒の大地にも一長一短があるが、先祖代々その良し悪しを知り覚悟のうえで生きてきた。美味しいから食べるのは当たり前ですが、見えないことを知ってもらうことで美味しさという価値が変わってくると思うのです。

雪国の天気と百姓

11月に入って風邪で寝込む日がトータル1週間以上ありました。直りかけで畑仕事を繰り返したので悪くなる…の繰り返しでしたが、数日前から咳とダルさは消えました。天気の良い日は畑に出たいですが、芋類の貯蔵庫を兼ねた作業場の暖房に薪の調達をするために連日流木の伐採作業と薪割り作業です。

昨日12月9日の午後2時頃です。

子供の頃、この場所は川原石がごろごろしていました。俺が生まれるずっと以前から信濃川の氾濫で、川の下になったり川原になったり土がついて畑になったりを繰り返していたそうです。このソフトボール場は中島の百姓で元市会議員の故・渡邊綱吉さんが「地区の人達にスポーツして欲しいから」と寄付した場所です。

上流の大手大橋

逆光ですが冬の低い太陽光線が川面にキラキラ反射する光景は、目から暖かさを感じます。野菜もそうですが植物が話すことができたら、太陽を浴びている時の感じは俺と同じことを言うかもしれません。

鮎や鮭が遡上する大河のすぐそばで生きることができる幸せ。

父母が若く、俺が4歳頃まで木の川船で対岸の畑まで行き来していました。現在もその船の櫂が残っています。大昔、この川が流通の要でした。

橋の向こうに米山が見えます。

ガスや石炭・電気が一般的に普及するまでは、この風景を見ながら流木集めをする庶民が大勢いたそうです。この信濃川の氾濫があったから巾着ナスと梨ナスが中島で生産されるようになり、長岡全体に広がったのです。

チェーンソーを心行くまで使いたい人いませんか?

午前中は昨日の薪をトラックから降ろす作業。午後からは曇天ながらも降らないので農道入り口の大きな流木切断に取り掛かりました。信濃川の洪水は余計な仕事を増やしてくれます。俺が「信濃川と共に生きる百姓」を自認し再認識する一番の時です。

手前の流木は中間付近の幹太さ18センチほど。

下流に向かって見た農道。木の電信柱までありますが、切断するとタールの臭いが漂いますので薪にはできません。都会の人のブログで「チェーンソーで思いっきり木を切ってストレスを発散させたいのでチェーンソーを買ったのですが、木を切る場所がない」と嘆いているのを見たことがあります。もしそんな風変わりな人がいらしたら遠慮なく俺に連絡ください。旅費と宿代は出ませんが食事は提供します。

クルミ・ニセアカシア・柳が主です。

枯木ですが吸水しているので重いです。ニセアカシアは適度に油分を含み、繊維が締まっているので乾燥しても重く、切断するときも割るときも時間と労力はクルミの倍以上掛かりますが、火力・火持ちともに最高の木です。柳は水っぽくスカスカなうえに生木は1年経っても新芽が吹いてしまうことがあります。

農道から上流を見る。農道の左側に今期の中島巾着圃場があります。

大きな流木は年内に切断してしまう予定です。来春にミニショベルを使って開通させます。俺が生まれた昭和37年、祖父、真十朗の日記にはこんな一文があります。「川から流れてきた珍しい木を製材してもらったら一万円以上で売れた」とのこと、当時の初任給は、ひと月2~2.5万くらいです。本日の薪は1.25トントラック積載量目一杯です。

小さいときにNHKの工作番組わくわくさんが大好きだった子供が描いた蜜柑の顔。

何気なく食べている蜜柑ですが、会ったこともない百姓仲間が栽培していると思うと、ただ食べるだけでは申し訳ない気がするのです。出荷する際に1個だけこんな顔の蜜柑が箱に入ってたら楽しいと思います。

久々の快晴に里芋の収獲完了

風邪をこじらせて更新を休んでいた。

午前10時過ぎ。太陽高度は低くても有難いです。

風邪をひいて2週間以上治りませんが、久しぶりの上天気ですので畑に出ました。里芋収獲の最終日にふさわしい青空でした。

初代ウルトラマンとほぼ同じ高さの水道タンクと胡桃の木。

里芋を掘っていると、雑木林のほうからガサガサと音がしていましたが、作業服を着た男性がクルミ拾いをしていました。洪水になってもクルミは流れなかったのでした。水より比重があるのはクルミが種である証しですね。

畑一反分のガレキの山を手作業でかき分け1ヶ月

ガレキの中身は、葦が4割・流木3割・ガラス瓶とプラスチック類3割です。40年前まではガラスやプラスチック類のゴミは、こんなに川に流れてきませんでした。ガレキを分別しながら里芋の掘り取り作業をしてきました。葦はそのまま畑に残して来年の肥料にします。流木は薪ストーブの燃料にします。その他ガラス・プラゴミは一箇所に集めておきました。

流木を選別した山が10箇所以上になります。来春も残りのガレキを片付けます。
最後の1畝。三本鍬で株を出しています。画像右側はすべて瓦礫で埋まった畑

不幸中の幸いであるが、ガレキに埋まった残り15メートルの畑は作付けしてなかった。

先祖たちも信濃川増水の度に同じことをしてきたのです。ガレキの中の里芋3株

復興と云うには大袈裟ですが、信濃川の恩恵を得ている百姓の宿命として、信濃川の増水洪水の度に作物はダメになり泥やガレキの片付けがあります。しかし、この重労働をした者だけに翌年の最高の野菜収穫が待っているのです。

1人で里芋を収獲する方法。斜めに写るのがフォーク。

里芋やサツマイモを4本フォークで掘るときは、垂直に突き刺したフォークの根元に支点となる物を置くと、フォークがズレないので余計な力が掛かりません。

一般の農家が、これだけの葦を刈り集めて畑に入れることできません。

葦の浄化作用は優れたものがあります。俺は葦をアシ(悪し)と言わずにヨシ(好し)と言います。そして葦という植物の肥料成分は最高のものです。この畑での来年と再来年の豊作は確約されています。苦労が報われるのは来年以降です。中島地区の百姓が長岡市内で一番の野菜を200年に渡って作り続けてきた理由がここにあります。

 

晩秋の信濃川 カタツムリ

今年は雨の多い年です。中越地震で信濃川上流の魚野川水系の芋川が土砂崩れになって以降、少しの降雨で信濃川は土砂濁りになります。15日の信濃川は水量が多いですが、濁りはありませんでした。

信濃川があってこそ長岡での野菜栽培の発展がありました。

この川は命が遡上下降しているのです。山々の木々が湛える養分ミネラルを含んだ水。多くの命を奪いながらも、それ以上の命を育み歴史を創り続けています。用水路化しても限度があります。「政治家はゴルフなんぞせずに魚釣りをしろ」と言って鮎釣りをしている時に他界した村上市の政治家がいました。村上市は江戸時代に村上藩として、鮭の回帰を利用して日本の養殖魚産業をいちはやく手がけて産業化したところ。長岡藩である長岡市は日本列島改造論で国土を削りコンクリート化したゴルフ好きな政治家の拠点。

泥にまみれて里芋畑をゆっくり歩む蝸牛。

良寛さんが書いた『天上大風』。カタツムリのような小さな百姓には、御上政治屋さまが大型農家の保護政策という大風が吹こうと、地を這うような我家には何の配慮もない。蝸牛は上を見つつ危険とあらば小さく壊れやすい殻に引っ込むしかない。この地にへばりつきながら7代続いて200年、蝸牛のように野菜だけを生業に生きてきた。理解してくれる人は少しずつ増えてきました。

ガレキの山の里芋掘り

台風21号で信濃川の水位が上がり、里芋の畑から2メートル以上まで川水が24時間にわたって冠水しました。あれから約2週間ですが、畑の中はまだまだ作業するのは大変な状態ですが、時期的に里芋の種を収獲保管しなくてはなりません。

9月23日の里芋畑、既にガレキが溜まっています。
葦(ヨシ)・ガラス瓶を避けながら収獲

約25アールの半分近くがガレキに埋まりました。葦・百キロ越えの大木を含む大小の流木無数・ガラス瓶・ペットボトル・空き缶・ポリ容器などで埋まった里芋畑。ゴミを掻き分けて手作業で収獲します。ガレキがあるので機械掘りができません。

 

手前から里芋は埋まっています。

流木・ガラスなど可燃不燃物に仕分けしながら、葦はそのまま畑の肥料にしてトラクターで打ち込みます。

美しい風景が疲れた心を癒してくれるのが信濃川河川敷です。川面に反射した画像を撮りたかった…

レンブラントやミレー、富嶽三十六景や横山大観などを想わせる夕暮れ。

里芋を掘る頃は毎年美しい満月です。

里芋は水を必要とする根菜なので葉の部分が数日間水中になったり、葉が泥だらけで光合成阻害や呼吸障害にならない限りダメになることはないので、信濃川の洪水に苦しめられ続けてきた中島の百姓にとって河川敷の畑に作る作物として、無くてはならない作物なのです。時代は変わっても先祖達と同じ苦労をするのが中島地区の百姓の宿命です。

台風21号・信濃川増水①

平水時は海抜17メートル前後の水位ですが、今回の台風は22.6メートルほどまで増水し、河川敷の畑は完全に冠水しました。前日の夜10時過ぎのニュースで関西方面の台風被害を見て、すぐに畑へ直行し、畑に置いてたトラクター・耕運機・管理機・一輪車などを回収したので機械の水没だけは免れました。

川西地区から信濃川方向を撮影。22メートル以上の時。

23日午前10時頃に撮影。土手下のアスファルトより1メートル以上に水が上がっている。数年前の増水時にはトラクターを水没させてしまい高額な修理費が必要になりました。

24日、水位20.5メートル時点の画像

土手から信濃川本流までおよそ200メートルの距離。

農道は泥で覆われています。

信濃川から20メートルの我家の畑。農道には泥が溜まっているのでトラクターで巡回して被害状況を確認。この補修や瓦礫の片付けを考えると気が重いです。

信濃川生態系の頂点

何年もの間、カメラを用意する間もなく画像に残すことができなかったキツネをようやく記録することができました。

畑の草刈最中の日没直後、ハンマーナイフで草刈作業中に現れました。

エンジンの音など関係なく現れた柴犬より一回り大きなキツネ。体毛色は薄目です。10メートルほどまで近づいてきましたが、目を合わせると警戒します。なので横目で様子を見ながら機械のエンジンを掛けたままにしてトラックまで歩いて行ってカメラを用意してゆっくり戻りました。

水害でマルチが埋まってしまい4年以上放置せざるをえなかった畑なので草刈するとネズミの巣穴が沢山。

キツネの聴力は土中のネズミの場所を察知するといいます。しきりに耳と顔を一定方向に向けて、俺のことなど眼中にないようです。

一定の距離まで近付くとキツネは警戒してこちらを見てから草薮に移動します。これを何回か繰り返した。

カメラ片手にハンマーナイフで作業を継続していると、キツネは草薮と草刈り後の畑を行ったり来たりしていた。作業を中断してカメラを構えてキツネを注視して目が合った直後から俺を警戒するようになってしまった。その最後の一枚が三枚目画像。 草刈り作業を終えての帰路、ネコより一回り大きな色の濃いキツネがトラックの前を横切って行った。本日はキツネの活動が活発であったのか、個体数も増えたこともあってか幸運に恵まれた。信濃川の貴重な自然に出会えるのは、この地で百姓ができるからなのだと実感しました。必要以上に干渉しないことが自然を守ることに繋がります。

信濃川河川敷の雪消え

昨日、長岡市の山間部である蓬平温泉に行ってきましたが、屋根の積雪は相当な量でした。長岡市中心部では屋根に雪はありません。河川敷の積雪量が気になったので本日午前中に様子を見に行きました。

中島地区信濃川右岸の土手
右岸ソフトボールグラウンドの積雪は22センチ

土と雪の間に数センチの空間ができていたらしく、グラウンドに足を入れた途端に「サーッ」という不気味な音が15秒くらいの時間、グラウンド全体を包んだ。何が起きたのか不気味であった。それは空間に雪が落ち込む音であった。貴重な体験をした。

河川敷畑

昨年、地元小学校の3年生とチャレンジルームの児童たちが中島巾着ナスと梨ナスを植えた畝。支柱とナスの枝が出ている。

畑の積雪は30センチ

地面の土質などによって融雪具合が違う。もちろん日当たり加減による日照時間などにもよって違います。

狸の足跡。大小3種ありました。

ネズミは雪でも餌を求めて地下を荒らし回ってます。

隕石の衝突で恐竜が滅びて極度に寒冷地化した地球で生き残った哺乳類の先祖は、いつもネズミのような絵で描かれていますが、この雪穴につながる土中のトンネルを見ると生存能力の高さと生命力を感じ、納得です。

畑への入り口には15センチ~の積雪
川原へ降りて左岸を眺める

冬期間中に左岸の低水位護岸の河畔林は伐採されてしまいました。伐っても伐っても復活する回復力が、この大河にはあります。自然と共存し生かすことが川に生かされてきた長岡人の役目です。グラウンドや公園に集まるのは休日だけ。普段人が歩く場所は自然のままの場所です。

雪代が少し混じっていますが透明度が上がって綺麗な季節です。

寒バヤを釣りたくなったので今週末あたりに釣竿を出そうと思います。

流れ着いた流木と葦

昔の人は流木を拾い集めて煮炊きや暖房の薪にしました。炎が柔らかく何時までもトロトロヨロヨロ燃えるので越後の人々はその炎を「よろ火」と言っていました。「夜火」が訛ったのかも知れません。

雪の一部消えた土手の芝生でムクドリの一団が餌を探していた。

我々、信濃川の川百姓はこの時期になると心が自然と弾んできます。

雪が降りそうな気配です。

本日も雪が降りません。一体どうなっているのでしょう。でも降り始めたらどうなるかわかりません。降雪前の再点検・再準備をしました。

敷地内の雪を井戸水で消していますが、今シーズンはまだ一度も井戸水を出していません。昨年12月に(融雪した井戸水が流れる)敷地内の側溝を掃除しましたが、野菜の土落とし、洗い物をしたために土が溜まってしまったので本日再掃除です。

マンホールへ続く穴。ドブネズミの出入り口です。

側溝穴から出てきたネズミを見たので、廃棄したガスコンロの焼網で閉じてます。網が倒れないように木片を立て掛けています。側溝の角枡には泥や草、木葉が溜まっています。

近所の深井戸が稼動していないので、我家の浅井戸は生きています。だから、この時期に野菜を洗浄することができて嬉しいのですが、泥が溜まるのは当然のことなので、今日の側溝清掃は嬉しいのです。

鉄製のジョレンは1年しないうちにダメになるのでステンレス製のものにした。

長年の地盤変化で高低差が生じて水が滞留するようになった。夏場は蚊の発生源となっている。この地域の井戸水は鉄分が含まれているので、飲料・洗車などには使えません。野菜の洗浄には充分な基準です。

 

バケツに汲み取って、1日置いて上澄みを捨てて、泥土は畑に入れる。これで消雪井戸を安心して使えます。

子供のころは、どこの道も砂利道で脇にはドブがあったものでした。毎週日曜の朝になると各家で自宅前のドブさらいをやったものでした。場合によって消毒液を流して一面のドブが白濁し、薬液の匂いが漂ったのを思い出します。ちなみに、近所を見渡しても敷地内でドブさらいをしているような家はありません。

ドブさらいも百姓家(ひゃくしょうや)の宿命です。