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今年は熊が里に下りる年?

今年は春から夜間温度が上がらない年でした。そのためにナスの成長は著しく遅く、5月下旬の定植時に一番花が開花していたのに収獲は1ヶ月近く掛かりました。通常は中島巾着3週間、梨ナス2週間で一番実がほどほどに収獲状態になるはずなのですが、異常果や落花という状況がシーズン通して続きました。また、花蜂(クマ蜂→我家の従業員)の飛翔が少ないことも気になりました。

ナスの片付け中に撮影。中島巾着とパセリ。全てのパセリには虫が一切つかなかった。

現代農業を定期購読している妻が、「害虫予防と病気予防に我家でも試してみたい」と、ナスの定植時にパセリ・ネギを株元に一緒に植えてくれたのですが、全ての株に植えたので、同植したものとしないものとの差が分らなかったのでした。

ネギも病気が出なかった。

販売用に栽培したネギにはハモグリバエ・ベト病が発生したが、ナスと同植したネギは、虫も病気も発生しなかった。 昨日夕方、ナスの片付け作業中に右目の下瞼をブト(蚋)に刺されたのか、本日朝起きたら目の下から頬にかけて腫れていた。お岩さんになっていた。プレドニン入りの薬を塗布。昔はブトがいる畑ではなかったのに環境が変化したのだろうか…。

畑わきのクルミ

今年は栗もクルミも大不作です。渓流釣りに行った際に魚野川沿線の地元ルアーマンと話した時に「8月からクマが川岸に下りていた。こんげな年は初めてだ。気をつけたほうがいい。」とのこと。クルミや栗が不作であれば、山のドングリ・トチノミ・山栗も不作なのは間違いない。5.6月の水不足、夜間低温、8月の雨続きなど原因は考えられる。梅も近年ないほどに不作の年でした。

お天道様に手を合わせて拝む

朝日に輝く朝露

祖母が他界して30年になる。88歳手前まで河川敷の畑に四つん這いになって草取りをしていました。手足は勿論、かすりの上着やモンペの膝は土だらけ。父母と一緒に炎天下の中で作業していました。 誰よりも良い野菜を作って出荷してもタダ同然のような市場出荷価格に愚痴も洩らさずに黙々と草取りを続ける姿を思い出すことがある。 炊飯釜を水道水だけで洗いながら、こびり付いた米粒が釜底に溜まると、それを、ひび割れたシワだらけで硬くなった手で大事そうにすくって食べていた。食べ物を大切に、そして決して無駄にする人ではなかった。

祖母は若い頃に、信濃川河川敷の畑でツツガムシに刺されて、風土病ツツガムシ病になって高熱で死に掛けた。50パーセントの致死率であるが幸い助かった。しかし、高熱により脳に障害が残り、季節の変わり目や急激な気圧の変化があると後遺症として異常行動をきたして家族は大変な思いをしてきた。その祖母が朝仕事で「お天道様が見てらっしゃる。今日も頼みますれ」と畑で、昇る朝日を見て手を合わせていたのを1度だけ見たことがある。普段はあんなことをする人ではないが、その姿は絵画、ミレーの祈りを連想させた。 百姓は自然の一部であり、自然の中で生かされていることを感じる時が多々ある。朝日に輝く畑一面の朝露を見ることのできる至福の時に昔を思い出した。俺にとっての神様はお天道様なのだ。

昨日より中島巾着の畑を片付けはじめた。収獲は2~3日に一回、からしナス漬け用のみ。

休み無し毎日収獲出荷で更新できません。

昨日、NHKラジオ深夜便で紹介されましたので、今日は眠い目をこすりながらも、久しぶりにパソコンの電源を入れました。一ヶ月振りです。

我家は極力、除草剤を使用しないようにしているので、毎日、草刈り草取りで労力を奪われていますので、この時期はブログを含めてホームページの更新・訂正修正などができません。余分な時間は休息睡眠に使います。 専門家が見たら面白い・興味深い話題が沢山あるのですが、後日にまとめてここに記録します。

年々、体力・精神力の回復に時間が必要になってきています。

毎日が早いです。

大阪へ行ってから一ヵ月半が経過。大阪へ行く前から何かと忙しく撮りためた画像がたまってしまいました。

4月。今年の春は若干寒い。

この時期の土の香りが大好きです。河川敷の土は生きている土の香りなのです。ホカホカ陽気に細かく耕運された畑を裸足でゆっくり歩くと足の裏から大地の源がフワッと伝わってきます。

信濃川の土手斜面が緩傾斜堤防になって植生変化してきましたが、ツクシも戻ってきました。

ツクシを摘んで食べる人も少なくなりました。一ヶ月も過ぎるとスギナに変わっています。子供の頃の遊びで、ツクシやスギナの袴部分を引き抜いて戻し、友達に「どの部分が取れているでしょーか?」とクイズを出していました。自然の遊びを教える親世代が少なくなっているのでしょう…今度、幼稚園児と小学生の授業で教えてみようと思います。

4月上旬、ひゅう菜(トウナ)が伸びる前の畑。

ひゅう菜の収獲も明日5月14日が最後になります。菜の花が咲き始めたので休み明けに幼稚園の園児達たちに毎年恒例になっている菜の花摘みをしてもらいます。その後、ハンマーナイフで刈り取ってトラクターで畑に打ち込みます。

長岡でのナス植え時期について

梨ナス・中島巾着ともに畑に定植する場合は5月20日以後にしましょう。ゴールデンウイーク中に畑に定植する場合は低温で枯らさないようにトンネルやアンドンなどで対策してください。 中島の百姓は昔から5月末~6月頭に定植しています。

定植早出しの低温障害を受け、苗を弱らせると盛期の樹勢にも関係してきます。巾着ナスを含めてナス全般に水は充分に与えましょう。「このナスは水を控える」と言っている古正寺地区の元稲作農家がテレビなどで言っていますが、これはナスの知識に乏しく間違いです。

大阪のナス栽培

先週、3月28日夜に大阪へ夜行バスで出発、翌29日から31日夕方まで大阪の泉州水茄栽培農家の北野さん宅へ3日間お邪魔して作業を手伝いながら泉州水茄の栽培現場を実体験させていただきました。また御厚意で馬場ナス生産農家の畠さんの栽培ハウスを北野さん森下博士夫妻と見学させてもらいました。2日目にはJAセンターで泉州水茄の今後についての話を聞くことができました。最終日には貝塚地区で種苗店を営み現在の泉州水茄の歴史の生き証人である藤原種苗・藤原健三さんから「黒い色の現在の泉州水ナスの育種の歴史」と貝塚のタマネギの話を聞くことができました。事前に知識と歴史などを予習していたので、長岡新潟のナス種の歴史と知識が巧くリンクして非常に興味深い話を聞くことができました。新潟県での黒系梨ナスの一般常識が覆るかもしれない貴重な話。

貴重な話は録音してあるので再度聞きなおして、不明な点を解決して今後書き残したいと思います。

地域の歴史はその地域の人に聞いただけでは絶対に理解できません。少しでも理解を深めるために一緒に作業して、自分の知識と経験を踏まえて質問しなければ的確な回答は得られないと考えます。大阪でお会いしたそれぞれの専門家の印象は「大きく打てば大きく返ってくるし、小さく打てば小さくしか戻ってこない」俺の百姓としての力量とナスへの想いがどれだけのものかを計られた旅でもありました。

若手の北野さんが紹介してくれた高齢の畠さんと藤原さんとの話は、本音の質問から導き出された貴重なものでした。

 

発芽

水茄系

長岡の黒系梨ナスは、ハッキリ言ってまともなものがありません。これは、種屋さんも認識しています。 現存する黒系梨ナスで唯一まともなものは中ノ島(中島ではありません)の農家が採種しているものだけですが、種の入手は不可能です。

土田系の中島巾着・平成29年②

2粒播きにして様子を見て1本にする。引き抜くと根が傷むのでハサミで切るのです。

とあるF1メロンを食べた後に採種し、遊びで播種した。

F1を採種してどんなメロンが…まともな品物は採れませんので自家消費用です。

ブロッコリー

下は葉菜類

ネギの播種

本日はペーパーポットへのネギ播種。昨年は裸種子のみの播種だったが、今年はコート種子と裸種子の両方を使うことにした。自作の播種機は展開したペーパーホットを上段と下段に分けて播く2段階方式であり、コート種子の場合は1粒播きしかできない。

6000粒の種の8割を1本ネギで栽培。残りは1穴2本栽培の予定。裸種子は全て2本栽培。コート種子用の播種板を急遽製作した。製作時間は2時間。板材は3mm透明ポリカーボネート。穴径は5.2ミリ、穴の切削口を7.0ミリドリルで面取り加工することでコート種子が穴に入りやすくした。メーカーの播種版は全面播種用で扱い難いので半面播種は、種が確実に入り易く確認も容易であった。また軽量であるために扱いも楽であった。ただし作業は2回必要である。

裸種子に関しては、ネギの種の大きさがそれぞれ違うこと、品種による種子の大きさが違うことなどから時間と作業性の問題が顕著になってきた。春の忙しい時期に時間単位計算をすると、全ての種をコート種子に切り替えた方が時間単位収益が上がる。

来期からはコート種子のみに切り替えることにした。

新潟の伝統野菜・伝統果樹

伝統を語り伝えるには長年の専門知識と農業人としての現場を経験した者でなければなりません。新潟県において現在一番の知識と経験がある小田切さん。新潟市農業活性化センターで講演を聞いてきました。人材と施設がある新潟市がとても羨ましく思えました。長岡とは真逆です。

新潟県の在来野菜を調査し、全国に紹介した瀬古龍雄さんの直属の部下であった小田切さん。

瀬古さん小田切さん(県園研職員も含む)は百姓と同じように鍬を振るい草を取りながら新潟県の農家のために野菜や果樹の研究栽培育種保存をされてきたので、嘘や誤魔化しお世辞は通用しません。経験と実践に基づいた研究者ですから「最近の基礎知識が欠けてる、売るがためのブランド化」の裏側を非常に憂慮されています。

レジメには実際に自身で栽培してきた研究記録とともに採種など実際の現場が写真と共に解説されています。

「伝統」とは何か?を、たまに畑に行っただけで得意気にブログなどで宣伝し鍬すらまともに振った事も無い青果市場関係者や40代以下の青果仲買人・飲食店主(野菜ソムリエ)が伝統を得意気に語っている長岡市の現状を考えると赤ん坊(長岡)と大学生(新潟)ほどの差を感じるのでした。

 

 

平成の水飲み百姓(拝啓長岡市様)

時代劇に出てくる貧しい百姓は定番です。凶作のうえに厳しい年貢の取立て、代官所のお侍様は容赦ない言葉で鞭打つ。百姓達の脛は筋張り頬はコケ、ほつれて破けた懐から窪んだあばら骨がのぞき見え、心臓の脈打つ動きすら乾いた皮に伝わるのが判る。やせ細り飢えてふらつき鍬すら振るえずただヘタリ込んでいるか、虚ろな目をして横たわり空腹を耐えるために水だけを啜り飲む…哀れな姿。

長岡野菜ブランド協会設立の平成15年以降、ナスの価格は暴落状態が続いていた。

「私が売りますから。みなさんナスを作ってください」と協会発足式で大見得を切った会長、集まった農家は満室状態で200人を遥かに超えていたが…「売り先を確保してから生産を増やすべき」の一人の百姓の声は会長に一蹴された。

そしてその夏からナス1個が1円、2円である。出荷用ダンボール箱は50円。こんな状態が連日、何年も続いたのである。我が父親達は青果市場に出荷せざるを得ない弱い立場であるのでただ耐えていた。その上に会長の逆鱗に触れた発言者の地区の百姓はこれでもか!というほどに叩かれ続けているのである。発言者は俺であった。

無策のブランド化が招いた悲劇である。これを見たら後継者は消えて当たり前。平成の水飲み百姓が大量に増産された記録の一部である。

後継者不足の原因を後押ししていた市役所農政課にこの話をするとニヤニヤ笑っていただけである。そして現在も今後もそれは続き新規就農者養成・異業からの種参入企業に途方も無い税金と人力が投入され続けている。矛盾というものである。百姓の跡取りへの養成支援は皆無である。