カテゴリー別アーカイブ: 生き物

あまりに遅いトウ菜の発芽

 

種まきゴンベエのロータリーディスク播種の深さ設定を誤って1センチ深くしたため、大幅に発芽がおくれてしまった。来春の収獲は?である。

お昼の信濃川河川敷で4頭の馬を発見。動物園などで見た日本馬と違って大きくてスマートだ。

本日は長岡時代祭りなので、三条市から武者行列に参加する馬が信濃川河川敷に到着していた。係りの人にお願いして撮影させてもらった。55歳の俺には、白馬といえば「怪傑ライオン丸」時代劇ブームの頃の子供向け特撮変身時代劇である。変身忍者嵐、仮面の忍者赤影、そのほかにも大人の見る時代劇も主人公は何故か白馬に跨っていることが多い。そのせいではないが、50歳以上の男子は白色系の車を選ぶ人が多い。 長岡陸上競技場の駐車場が白色系の乗用車で満車になっている時は、必ずゲートボール大会が競技場で行われている。

猿回しをやっていた。釣りの時に、集団でやって来る野性猿に遭遇したがアレは恐ろしい。

枝豆と里芋の収獲出荷を終わらせ、3時過ぎに時代祭りを見に行くと、人垣があるので隙間から覗いたら猿回しをやっていた。

4時頃には雨が降り出す。米何俵の御輿?

来年は戊辰戦争から150年とのことらしい。我家の敷地で戊辰戦争、長岡の戦いが始まった。その石碑「西軍上陸の地」は昔、我家の土地であった。我家の3代目は小銃隊の小頭で第二次長州征伐で大阪まで遠征し、長岡戦争の開戦から終戦まで、会津・米沢と転戦して生き残った。しかし、戦時中に2代目の妻(老人)が他界している。民間人も武士の家族も会津や米沢まで逃げたといい、その道中に亡くなった者は多いという。

錦の御旗に菊御紋はありません。ただの丸い金色布でした。

武者行列で坂本竜馬が出たり、新撰組が出たりするのはご愛嬌だろうが、坂本竜馬役が歩く姿を見た20代らしき女性が「本物っぽい」と言っていた。何故か新撰組局長が女性だったりする。リアルさを求めてはいけない、祭りなのだから。

夜鷹

長岡市中央部を流れる日本一の大河。信濃川の河川敷には様々な野生生物と稀少植物が生きている。レッドデータブックに記載されている昆虫や植物もいる。普段の生活では出会うことのない生き物もいる。梨ナスの畑にはカラス避けのテグス糸(釣り糸)が張ってあるのだが、日中活動する鳥はテグスを警戒するが、夜間に飛翔する鳥にはテグスを発見できなかったようである。暗くなってヨタカが飛ぶ影を見ることは度々だが、日中間近に見て触れたのは初めてであり2度とない経験である。

9月13日午後12時頃。県職員が引き取りに来た際に撮影

9月13日午前10時30分頃に梨ナス畑の支柱テープとテグスに左翼の関節部をむき出しにしてぶら下がって身動きしない鳥を発見した。鳥にしては大きな目をしており瞼は閉じたままなので、死んでいるのか?と思い、触るとバタバタした。ハサミでテグスを切断すると落ちた。大きな口を開けて威嚇するが、翼は骨が露出して折れているうえに弱っているので、このままにしてもタヌキかキツネに食べられることが確実なので保護することにした。収獲したナスの日除けに使う布を被せて捕まえた。鳥は暗くするとおとなしくなる。少年期に文鳥を飼育していた経験から知っていたことが役立った。「野鳥保護」で検索して電話したところ、ほどなく新潟県の職員が来てくれた。野菜コンテナに新聞紙を丸めてクッション材として敷いて、夜鷹を入れておいたので、県職員の持ってきたダンボール箱に移す際には異常はなかった。 新発田の保護施設で飼育されることになるらしい。野生動物の飼育は難しいうえに余程の理由がない限り許可されない。

スズメ蜂に刺された…

50代男の背中など汚くて見たくないでしょう。9月2日午前8時頃、野菜ゴミを捨てる時に子供心が出てしまい、7メートルほど先の木の枝にぶら下がっている小型スズメバチの巣に向かって野菜を投げつけた。当たりはしなかったが、周辺に投げつけた振動でスズメバチが100匹近く、巣の周りに出て来た。そのうちの数匹が襲ってきた。

昔の機械式注射器で注射された時の痛さ。

毎日、白系の上下作業着を着ていたのに、こんな時に黒色のメッシュベストを着ていたので、背中を刺された。

痛い。

畑作業に限らず、通年カバンの中にアレグラと副腎ホルモンの入った塗り薬を入れてあるので、即飲んだ。妻に指で毒を絞り出してもらった。本当はやってはいけないが念のためにと、口で毒を吸い出してもらってすぐ「うがい」。

30分後に頭がフラフラ・フワフワしてきたが、スズメバチに刺されたのは今回が初めてなので、ゆっくりと仕事をした。最初はズンズンと痛み、腫れた。翌日から痛みと痒み。刺された部分が陥没してジクジクする…たんぱく質を分解するのか。なかなか痒みが消えず3週間以上続く。2回目に刺されると命の保障はないかもしれない。

スズメバチの巣は駆除した。巣の直径は約30センチ。

朝の気温が下がった9月14日朝5時。白の雨具と白い革手袋に白ゴム長靴。白ヘルメットに白い網を被る。手には噴霧器。噴霧器の中には殺虫剤ランネート500倍液。巣の入り口には警備のスズメバチがいる。噴霧前にゴミを燃やして煙を出すが効果ゼロで意味がなかった。噴霧器のノズル先端を巣穴に差込み噴霧開始。中から次々に蜂が出てくるが、白装束を着ているせいか近付いても、俺が動かずにいるためか蜂が通り過ぎていく。巣はヒタヒタに薬剤で濡れて崩れていく。飛翔して攻撃してきそうな蜂は大きな虫取り網で捕まえて足で潰した。

この幼虫は渓流釣りのエサとなりました。軟らかいのでエサ持ち(釣り針からすぐ取れる)が悪いのが難点。

後日、この幼虫で40センチのニジマスを筆頭に合計6匹を釣って晩飯の一品に。

信濃川生態系の頂点

何年もの間、カメラを用意する間もなく画像に残すことができなかったキツネをようやく記録することができました。

畑の草刈最中の日没直後、ハンマーナイフで草刈作業中に現れました。

エンジンの音など関係なく現れた柴犬より一回り大きなキツネ。体毛色は薄目です。10メートルほどまで近づいてきましたが、目を合わせると警戒します。なので横目で様子を見ながら機械のエンジンを掛けたままにしてトラックまで歩いて行ってカメラを用意してゆっくり戻りました。

水害でマルチが埋まってしまい4年以上放置せざるをえなかった畑なので草刈するとネズミの巣穴が沢山。

キツネの聴力は土中のネズミの場所を察知するといいます。しきりに耳と顔を一定方向に向けて、俺のことなど眼中にないようです。

一定の距離まで近付くとキツネは警戒してこちらを見てから草薮に移動します。これを何回か繰り返した。

カメラ片手にハンマーナイフで作業を継続していると、キツネは草薮と草刈り後の畑を行ったり来たりしていた。作業を中断してカメラを構えてキツネを注視して目が合った直後から俺を警戒するようになってしまった。その最後の一枚が三枚目画像。 草刈り作業を終えての帰路、ネコより一回り大きな色の濃いキツネがトラックの前を横切って行った。本日はキツネの活動が活発であったのか、個体数も増えたこともあってか幸運に恵まれた。信濃川の貴重な自然に出会えるのは、この地で百姓ができるからなのだと実感しました。必要以上に干渉しないことが自然を守ることに繋がります。

セミの幼虫

夕方5時過ぎに温床ケーブルを埋設するための土を取りに信濃川河川敷の畑に行った。畑脇の雑木林の土を掘っていた時に出てきたワンザ「旧長岡地域限定のセミの幼虫の方言名」

柳の大木があり、根が張っていた場所にいた。

中足と後足が長いのが特徴的でゆっくりと動く。

小さくても木をシッカリ掴むための前足はセミそのもの。

何齢虫だろうか。見飽きない面白い。でも自然に還さなくてはならない。

土中にいる時は産毛で雑菌などから身を守っている。

虫の生態は面白い。蝶類や甲虫類そしてバッタ類の幼虫期~サナギ・変態する過程は変身そのもの。セミの場合は長い年月を土中で過ごすために一般人が生態を観察することは難しい。

農業者は自然と接する機会の多い職業。専門の研究者が求め続けている発見を我々農業者が偶然見ていても興味がなければ見過ごしてしまう。

 

虫を生かす農

土作りに石灰窒素・過燐酸を使うかどうか迷うときがある。

タタミと籾殻、若干の土。
自家製種まき培土と市販種まき培土

上画像、左の土は3年かけて虫やミミズのチカラを借りて作った培土。画像右は市販種まき培土に少量の発酵籾殻を混ぜたもの。

土作りのために石灰窒素や農薬を使うリスクの第一は益虫と微生物を殺すこと。

土作りにおいて、良い面と悪い面をいつも天秤にかけている俺はまだ篤農とはいえん。親父は言っていた「土を買うようになったら百姓らねぇこて。」

益虫にもなれば最悪の害虫でもあるコガネムシ類。

俺が子供の頃、春になると父親は、温床土の中のカブトムシの幼虫を次々と潰していた。「もったいない。俺にくれ。」と言うと親父は「春まではイイろも、これから根を食うヤツはダメら」と言っていた。成虫にして儲けるような意識はなかったようだ。安いときは一個1円2円の野菜を夫婦2人で一日頑張って出荷して、日の出前から夜中まで必死に働いて500円にしかならない事がザラだった時代。その頃、カブトムシ1匹が200円~の卸値でペットショップは買い取っていたのだ。いくら金になったとしてもカブトムシを売るようでは親父のプライドが許さなかったのだろう。

信濃川河川敷の雪消え

昨日、長岡市の山間部である蓬平温泉に行ってきましたが、屋根の積雪は相当な量でした。長岡市中心部では屋根に雪はありません。河川敷の積雪量が気になったので本日午前中に様子を見に行きました。

中島地区信濃川右岸の土手
右岸ソフトボールグラウンドの積雪は22センチ

土と雪の間に数センチの空間ができていたらしく、グラウンドに足を入れた途端に「サーッ」という不気味な音が15秒くらいの時間、グラウンド全体を包んだ。何が起きたのか不気味であった。それは空間に雪が落ち込む音であった。貴重な体験をした。

河川敷畑

昨年、地元小学校の3年生とチャレンジルームの児童たちが中島巾着ナスと梨ナスを植えた畝。支柱とナスの枝が出ている。

畑の積雪は30センチ

地面の土質などによって融雪具合が違う。もちろん日当たり加減による日照時間などにもよって違います。

狸の足跡。大小3種ありました。

ネズミは雪でも餌を求めて地下を荒らし回ってます。

隕石の衝突で恐竜が滅びて極度に寒冷地化した地球で生き残った哺乳類の先祖は、いつもネズミのような絵で描かれていますが、この雪穴につながる土中のトンネルを見ると生存能力の高さと生命力を感じ、納得です。

畑への入り口には15センチ~の積雪
川原へ降りて左岸を眺める

冬期間中に左岸の低水位護岸の河畔林は伐採されてしまいました。伐っても伐っても復活する回復力が、この大河にはあります。自然と共存し生かすことが川に生かされてきた長岡人の役目です。グラウンドや公園に集まるのは休日だけ。普段人が歩く場所は自然のままの場所です。

雪代が少し混じっていますが透明度が上がって綺麗な季節です。

寒バヤを釣りたくなったので今週末あたりに釣竿を出そうと思います。

流れ着いた流木と葦

昔の人は流木を拾い集めて煮炊きや暖房の薪にしました。炎が柔らかく何時までもトロトロヨロヨロ燃えるので越後の人々はその炎を「よろ火」と言っていました。「夜火」が訛ったのかも知れません。

雪の一部消えた土手の芝生でムクドリの一団が餌を探していた。

我々、信濃川の川百姓はこの時期になると心が自然と弾んできます。

稲荷信仰と百姓2

個人で稲荷さんを祀る家はどのくらいあるのだろうか。我家で稲荷さんを正式に祀ったのは祖父の代からである。「正式に」というのは理由があるのだ。昭和11年頃まで我家の敷地には大昔からの社(祠)があったのでそれを管理していたのだが、我家の敷地の一部を買い取った渡邊さんが「西軍上陸の地の石碑」を建立した際に祠も石碑の一部として移設したという。「西軍上陸の地の石碑」で初午旗が立つ理由である。

我家で稲荷さんを正式に祀った理由は、元々、地域の稲荷さんを管理していた事。戊辰戦争の際に長岡藩が家屋を焼き払った時に「殿様が信濃川を渡る際に休憩される家だから火をつけてはならん」として戦火を逃れたこと。第二次世界大戦の長岡空襲の際も家族全員で水を掛け続けて3発の焼夷弾が落ちたにもかかわらず消火し、焼けなかったこと。それらの理由と百姓として豊作祈願から稲荷さんを祀ったといいます。

親戚や知人から寄進された大きな鳥居が3つ。

長岡空襲の時は、我家を含めて周囲に数軒の家屋が焼けずに残っただけで、長岡市内の建物がほとんど焼け落ちました。そのため我家からは、1キロメートル以上も離れた長岡駅まで見通せたといいます。先祖や祖父が自宅周囲に多くの木を植えていたことも延焼から免れた理由だと思います。戦後に親戚のお寺さんに稲荷さんを祀るよう勧められて小さな祠を建立したといいます。

夕方、5色旗を燃やします。灰や煙が高く上がるほど良いと云われていますが安全面から火の粉防止はシッカリしています。

叔父が話していたのですが、我家の稲荷さんは「重兵衛狐」と云われ、白狐だったとのこと。神様に結び付けるには無理がありますがオカルトではありません。中島地区は江戸時代から信濃川の河畔・中州であるので狐・狸・ムジナ(アナグマ)などが民家に巣食っていたそうです。我家に巣食っていた野生のキツネに偶然アルビノ(色素欠乏)が生まれたのだと思われます。新潟県には熊・狸・狐のアルビノの記録や剥製などがあります。

平成4年の夏だったと記憶していますが、奥只見の銀山平という山奥にイワナ釣りに行ったときの事です。早朝に北ノ又川の駐車場で釣りの用意をしていた時、白い犬が近寄って来たので「こんな所に犬がいるなんて…誰かが連れてきたのかな」と思って、弁当から唐揚げを取り出して目の前にやると、犬は立ち上がって手から食べるのでした。妙な感じで飛び上がる犬だなぁ…と思いながらも、「目の色が青くて体が細くて尾が太くて長い変な犬だね。」なんて話しながら友人と2人で弁当の唐揚げを全て食べさせたのでした。それから30分くらいは俺たちの後をついてきましたが、いつの間にかいなくなりました。お昼に寄った銀山平の食堂でそのことを話すと「そら、白狐だわ。その狐がそこまでしたなんて話、初めて聞いた。運がいかったね(良かった)」と言われてビックリ。 その年の釣り雑誌にその白狐の記事が載っていました。

不思議なことや偶然を宗教や信仰に繋げたがるのは非常に危険なことで俺は嫌いです。農業は自然科学の世界ですが人は全てを制御できません。自然への畏敬の念や感謝を決して忘れないこと、歴史や先人の苦労を伝統として正しく伝えることの、ひとつの手法文化として風習と文化を変えないで守るのは大事なことだと思います。

 

 

福良スズメ

2月9日午後3時頃

昨日、小学校に招かれての帰途、沢山のスズメが街路樹のプラタナスに群れて鳴いていました。寒さから、体の羽を膨らませて丸く可愛かったので撮影しました。米農家にとっては害鳥ですが、畑作専門の俺には可愛い小鳥でしかありません。親が昔、着膨れした子供や孫を見ると「ふくらすずめ」と言っていたので昨日、広辞苑で調べたら、そのものズバリ、画像のスズメのことでした。

まだ寒く雪が降る時期の新潟県ですが、このスズメたちが集まってチュンチュン鳴く声を聞いているとホンワカとした気分になって「もうすぐ春なのかなぁ」と思えてきます。昔に比べてスズメも数が減ってきたようです。その分、カラスとムクドリは増えてきました。野生の動物は人間の環境操作でその数を変えていきます。微妙なバランスの上で自然のサイクルが成り立っているものですが、スズメとカラスの数は人間の生活域の広がりと比例しているはずです。

さしずめ我家は長岡市の農業界においてはスズメのような存在かもしれません。

今季もキジが来ました。

10年以上、我家にはキジ(鳥)がやって来ます。信濃川河川敷が深い雪に覆われるとキジは餌に困ります。 そして、雪によって隠れ場が無くなり、渡り鳥であるオジロワシに襲われやすくなるので餌と木々がある安全な場所を求めて、我家にやって来るのです。

午後5時。カラスより大きく、一直線の足跡。

幾世代に渡って、オスもメスも我家の敷地の木々を止まり木にして安心な夜を過ごしています。

雪の上に残るキジの足跡を見るたびに「肉食恐竜」を連想するのです。キジの歩き方は、ジュラシックパークのT レックスにとても似ているのです。

昨秋、敷地内の木々を随分と枝落とししたので、今年来たキジにとって、気に入った止まり木が見つかったかどうかわかりません。