月別アーカイブ: 2017年1月

食べる以外の生きる糧

本を読むゆとりのある人は幸せだと思います。病院での長い待ち時間やバス・電車等の長時間移動には気に入った本を持って行きます。

 

俺は一度読んだマンガやドラマなどを再度見直すことは「つまらないし、時間のムダ」だと成人するまで思っていました。18歳の頃に、小学生の従兄弟が同じマンガを何度も読んで笑っているのが不思議で「毎日同じ本を読んでいて面白い?」と訪ねました。 従兄弟は「だって面白いもん」と一言。

それから何年もの歳月を過ぎ、俺は大怪我や大病をした時に、幼い従兄弟の言っていた意味が理解できました。「笑うことだけが面白いわけではない・もう一度読んでみたい見てみたいと思わせる単純でありながら純粋な説明できない何かが人によって違うのだ」ということがあるのだと。

小学校のときに食べた給食の味を突然思い出して「どうしても食べたい」と思うことと同じだと思いました。主食は毎日食べても飽きないのに、副食が毎日同じでは飽きてしまう。毎日読まなくても、繰り返して時々読みたい…という本が、画像の本。

毎日、聖書やコーランに目を通して生きる人にとっては、それが主食と同じかそれ以上の存在であるのだろう、それが羨ましい。俺にはそういった精神の主軸がないのでいつも迷いながら歩いている感覚がある。 旨いか不味いか?を感じるのは百人百様。本が色々な意味で面白いかどうかを感じるのも同じこと。ここ数年の俺の聖書・コーランは画像の本なのだろう。2月に入ると本格的な作業が始まり、読書する時間が格段に減ってしまう。

振れずに真直ぐ愚直に真実を追い続けるそんな農仕事がまた始まります。

新潟の野菜を語る重要文書

百姓は野菜を売ってもその販売記録を残すことはあまりない。しかし、我家には野菜販売の売掛帳が現存しています。おそらく、長岡市に於いて百姓が書き残した唯一の販売記録だと思います。 長岡は戦災によって民間の資料がほとんど残っていません。

大正14年の前後3年間の記録が記されています。

貴重な資料であることを認められて内容が撮影され、新潟大学などで講義資料として使われています。

一例として、当時の茄子に関しての品種・呼称名称の区分けが判る非常に重要な記録もあります。

「まるじゅう商店」として農業の傍らで商いを営んでいました。

野菜専業農家ばかりの中島地区では、所有田畑の多少によって商いをしなければ生活できなかった小作農もいました。我家がそれです。長岡の畑作農業の第一級の重要資料だと自負しています。

扱い品目は多岐であり、酒類・味噌・野菜・苗など雑貨店のようなものから、馬や請負などまで記録がありました。

昭和2年の売掛帳も現存していた。

雪大根という文字も残っています。日付と当時の気象記録・積雪量を照らし合わせれば、本来の雪大根が雪中から掘り出したものか、雪中保存したものなのかが判明するのです。

伝統とは

伝統芸能・伝統行事・伝統文化・伝統工芸など「伝統」を冠するものは多数で多岐にわたって存在します。 「伝統」を広辞苑で牽くと次のように解説されていました。

ある民族や社会・団体が長い歴史を通じて培い、伝えてきた信仰・風習・制度・思想・学問・芸術など。特にそれらの中心をなす精神的在り方。とあります。

宗教に関して言えば「伝統宗教」と聞いたことはありません。ある信仰者が「自身の解釈が正しい」として、それまで信仰していた宗教を別解釈した時に、名前を変えて新しい宗派を興すことはありました。

「伝統野菜」の伝統とは何でしょう。国で定めた規定はありません。京都や大阪では府単位で概ね100年以上で来歴がハッキリとしている野菜を伝統野菜としているようです。平成26年8月に大阪府(なにわ伝統野菜の発起人の農学博士)・京都府(京都府庁ブランド戦略課)を訪ねて直接話を聞いてきました。 それぞれに各分野の専門家が携わっており確固たる地盤を築いてきたことが理解できました。 長岡市のように青果市場という一企業が、会社としての生き残りをかけて作ったブランド化とは比べ物にならない内容でした。

伝統野菜なのに「改名しました。」と平気で宣言する長岡ブランド協会。

伝統野菜とは関係性のない地域の農家が先頭に立って平気で間違いを宣伝する「巾着ナス」

長岡の伝統野菜について、子供たちが学校で間違ったことを覚えている現実を見てほしい。

米百俵の精神は廃れてきたのではないだろうか。

伝統を冠するならば、伝統を培ってきた地域の人間が先頭に立つべきであり、知識の不足した人間が先頭に立つのは間違いの元です。

歴史遺産の土産

 

世界遺産の土産だそうです。明治維新後に各地で養蚕事業が開始されました。有名な所では観光に力を入れていますが、これもそのひとつ。 チョコレートですが、葉っぱは抹茶チョコ。繭や幼虫はホワイトチョコレートの中に工夫を凝らしたチップを入れてありました。成虫はホワイトチョコレートのみ。

見た目のインパクトはピカイチだと思います。

長岡には「雪にお(雪しか)」という大きな雪山を作る場所が3箇所ありました。そのひとつが中島地区でした。俺の父親も若い頃に、背中に背負子を背負って雪を運んだらしいです。この雪にお(雪しか)は明治時代から盛んになった養蚕事業のためのものです。 カイコの卵の保存と、孵化時期を何回かに分けるための低温処理のためのものだったのです。

雪国の負の部分を利点として生かす、非常に賢い方法だったのです。この「雪にお」は氷の代用品として解熱用に使われたりもしました。俺の祖母はツツガムシ病で高熱になった時、この「雪にお」のお陰で命拾いしたそうです。

昭和初期の写真。雪を担いで巨大な雪山(ゆきにお)を築いていく。すべて人力である。

地域の歴史を調べると、今が見えてくるのです。このような目立たない隠れた歴史の何にこそ真実があり、庶民の暮らしがみえてくると思うのです。金儲けに走ると嘘と圧力と権力に媚びへつらうばかりの卑しい団体ばかりが横行してきます。行政はそういう者達が大好きです。 でも俺はそういうものが大嫌いです。

 

地域の種屋さんの話・本物の種屋の重要性

種を買う時、昔からある歴史のある種屋さんで買うでしょうか。ホームセンターや日用雑貨店やスーパーなどで買うでしょうか。農協の直営店で買う(注文でない)でしょうか。

種や球根などは、是非、地元の種屋で話を聞きながら買ってほしいです。地域農業を守るということでは地域の種屋を永く存続させることも重要なことなのです。

野菜に多少の知識ある人がスーパーなどで種を買う場合は、種の品質に拘ることはないと思います。俺はそうです。 しかし、種にシッカリとした品質を求める場合や新発売の品種を求める場合は、歴史ある種屋で種を買っています。

本日夕方、地元長岡で大正時代以前から続いている種屋に、種の注文に行ってきました。店頭で店主と向かい合って、新発売から数年経過した野菜の品質や栽培要点、耐病性などを聞きながら今年の栽培品目を相談してきました。 国内に数多くあるサカタ・タキイなどの大手種苗各社の製品情報を知る種屋の存在は、とても重要です。

昔の品種との違い、栽培要点、交配原種は何だろうか、実際に栽培した人からの評価などなど知り得ない情報が得られるのは歴史ある種屋だからこそ。 ホームセンターや農協売店では教えてもらえないことが聞けるのです。 開発メーカーの話・多数の栽培農家の話、双方の情報を一番知っているのは昔からある種屋でしょう。その双方の話を種屋の経験を通して良い面も悪い面も、俺のような客にフィードバックしてくれるのです。このようなことは種屋にしかできないことなのです。

ホームセンターやスーパーで野菜種や花種などが売られるようになり、新潟県内の種屋も相当減ってきているそうです。種屋とは種を売るだけでなく、栽培情報も一緒にオマケしてくれていることを知らない消費者が多いのです。 ネットで調べても地域差で温湿度や土質などの違いまで教えてくれませんし、種袋の裏面にある「冷涼地・暖地・関東・東北・関西」など曖昧な線引きでの説明や、毎年同じでない気温変化と気候に困ることもよくあります。 このようなことは、歴史のある種屋なら多くのお客からの情報と経験で、一番良い播種時期や管理方法などを教えてくれます。 質問に答えられる本物の種屋が永く営業できる時代に戻ってほしいです。

 

 

ツララと雪国の昔の子供の遊び

 

「ツララで水割り」とか「新雪でカキ氷」など、都会育ちの人が憧れて言うことがあります。 このツララを、お湯の中に入れて溶かすと…細かなゴミと油の膜が浮かんできます。

一見、美しい新雪も同じです。我家では昭和62年頃まで薪で風呂を沸かしていました。 その頃、冬になり水道が凍結すると、熱くなった風呂を雪を入れて冷ましていたのですが、湯船に油膜が張って、湯の色が灰色に変色するのです。

現在の雪は、もっと汚れています。どの地域の雪も同じはずです。雪を口に入れることは、川の水を飲むと同じこと…それを小学生の頃に知りました。

ツララも雪も口に入れてはいけないのです。

「誰が一番大きくて長いツララを取ってくるか」という遊びをしている子供も見なくなりました。雪に向かって子供達が一列に並んで、「誰が一番遠くにオシッコを飛ばせるか」なんて遊びをする男の子も見かけません。 昔は、雪の上に色違いの黄色い跡が並んで残っているなんて風景をよく見たものです。女の子には解らない達成感と競争心が白い雪の上に並んでいるのは、思い出すだけでも楽しくなります。

雪が降ると風景が変わってきます。小学生くらいの子供には少し遠くの町まで足を伸ばすと、「どこに来たのかわからない」というくらいに景色が変わってしまうのです。 「大人もいない、子供達だけで遠くに来てしまった」寒くて誰も外にいないので道を訊くこともできない…そんな時、道の角々に犬のようにオシッコで印を残して帰り道を間違えないようにしたこともありました。 猛吹雪で道がわからなくなり、友達と3人で電話ボックスに入って暖をとったこともありました。45年前の電話ボックスには電気ヒーターが点いておりオレンジ色に赤々と電熱線が点灯していたのです。

 

中島農家組合

本日の夕方から中島農家組合の「寄り合い」でした。 組合員は盛期の10分の1です。

会計報告と農協関係の報告があり、その後、昨年の総括や昔話などをしながら飲食でした。最年少の俺は酒が飲めないので大先輩方には物足りなかったと思いますが、そこは勘弁してもらっています。

長岡の野菜の歴史を築き守ってきたのが中島の農家だと言えます。 しかし、都市化の波に追われる様に、野菜一筋の真の百姓が消えて行ったのは寂しいかぎりです。その歴史を紐解く鍵を、この寄り合い話の中で見つけるのも俺の役目です。 小さな地域の歴史ですが、長岡の野菜の歴史は中島農家が作ってきたことは厳然たる事実なのです。巾着ナスや梨ナスなどは他地域の者には理解できない中島の百姓の歴史です。

酒を飲みながら語る先人の昔を聞くのが面白いと思えるようになったのは、俺も先行きが見えてきたからです。 その先人の手足は曲がり、変形変色し、体全体が悲鳴をあげているのに「生きてるうちは畑に出たい」と言っていました。

熱い太陽に焼かれようと大地を耕し続け、冷たい雨雪に打たれても、洪水に作物や機械を流されても、幾度も立ち上がって百姓としての矜持を持ち続け頑張ってきた証が体と言葉から滲み出ていました。

この先人の歴史の真実は、伝える者がいなければ消えてしまうものです。間違いなく正しく後世に残せるものがあったなら、それをしなければならない。残された時間のうちにやらなければいけません。

結束機の再生完了

13ミリホース・10ミリホース・燃料ホース・結束機金具

家にあったホースを3種類、3重に差し込んで使用しました。多少のガタは仕方ありません。

専用ゴムでないので、使用中に何か不便が生じる可能性もありますが、なんとか使えました。

安い部品ですが車の移動時間とどちらをとるか…の違いで、在り合せでの修理にしました。安物買いの銭失いにならず、完成です。

天気が良かったので道路の雪が随分と溶けました。

中古の野菜結束機の整備に1日掛かりでした。

販売されている野菜結束機は何種類もあります。簡単な機能で安いものは5000円程度から、「たばねら・おびまる」のような4万円近い物まであります。最近では電動式の高価なものまであるようです。

これまで我家は、100円ショップのセロテープ台に無理矢理、結束テープを入れて、全て手作業で野菜を結束していました。 しかし、あまりに作業時間のロスがあるので、中古の結束機を買うことにしました…しかし、中古でも状態の良いものは1.5万円が相場です。油と土汚れと錆が入り混じっている中古物で送料合わせて3000円しないジャンク品を整備前提で買うことにしました。

稼動部が固着していたり、野菜結束機全体からエンジンオイルが腐った匂いまでしていました。このままでは全然使えません。

分解洗浄前。ゴム部品は触っただけで変形するほどに劣化している。ここはビニールパイプ(ホース)とABS樹脂を加工して取り付け予定

即、全分解と灯油での洗浄を決断しました。リサイクルの鬼の異名をとる者としての心が燃えてきました。

洗浄後の画像。組み立てやすいようにブロックごとに部品を分けて洗浄しました。

初めて扱う品物なので写真を撮りながら分解し、ブロックごとに袋に分けてから順番に灯油トレーの中でブラシで洗浄。仕上げにパーツクリーナーで灯油を落としました。

年を重ねるたびに記憶力が衰えているので、分解時の画像記録は必須です。

歯車が汚れて固着によりローラーが回らなかった部分。洗浄後の組み立て後画像

歯車が空回りする状態でなければならない仕組みでした。

回転部分なのでグリスアップしたところ、歯車がグリスによってくっついてしまい戻らなくなったので、グリスを落として再組み立てしました。この機械は回転部も注油だけでいいみたいです。

錆で汚れた台座は在り合せのラッカースプレーで白く塗装しました。新品なら4万近くですが3千円と1日で野菜結束機が使える身分になりました。

塗装が乾いたら歯車の稼動部サイドカバーと、テープ用の中間支柱を取り付けます。

最終仕上げは消毒用アルコールで綺麗にします。

今回の整備は、百姓が面白いと感じる仕事のひとつです。使えなくなった物を修理整備して使えるようにした時の満足感は、荒地を開墾し土を耕し野菜を育て収穫した時と通じる部分があります。行政から補助を受けて新品ばかり揃えられる農家と違い、百姓は常に開墾(開拓魂)を持ち続けて先祖の思いを背負って地ベタに足を着けて生きているのです。

 

 

タモ網で雪庇落とし。コンテナ用まな板。

さつま芋の出荷時にイモの両端を切ります。いつも同じ場所で作業できるわけではないので、コンテナの縁に差し込むだけの「まな板」を作ってあります。 畑でも何処でも、コンテナがあれば包丁仕事に便利です。

たったこれだけのことですが、作業性が上がります。

大雪の不安から開放されましたが、屋根の雪処理がまだ残っています。玄関付近の屋根雪が落ちて危険なので、せり出した雪を落とさなくてはなりません。

屋根まで地上8メートルです。ホームセンターには5メートルの雪落とししか売っていませんから、2階の窓や玄関屋根に上がり、4メートルの雪落としを使って毎年、雪庇を落としていました。

2階の窓から落とすのは、とても危険な作業なので安全を考えました。

家にある物を使えないか…と探すこと半日。魚釣り用の7.2メートルのタモ網がありました…が、カーボン製で軽くて良いのですが、軟らかくて曲がります。しなるのです。

網枠を外してアルミのシャベル先を取り付けてみましたが、重くて使い物になりません。

仕方なく、枠はそのままにして、網だけ外して雪を切ってみたところ、柄がしなることを踏まえておけば、難なく雪庇を落とせることがわかりました。7000円が浮きました。

 

探すのと改造するので無駄に半日を費やしました。そのまま使うだけで充分な機能がありました。

中古釣具屋で980円だったタモ網が、魚を釣ることよりも役立っています。