カラスになった気持ちで柿を見ると歴史が見える

雪国長岡が雪に閉ざされるのは12月~3月上旬まで。現代は「閉ざされる」という時代ではないが、雪に閉ざされてきた時代の食文化が伝統野菜を培ってきたことに間違いはない。冬の保存食が伝統食になったともいえる。漬物としてのナスはその代表である。

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冬のビタミン補給は何か?我家には代々と梅・柿など保存用の果樹が植えられてきた。柿は干し柿とすれば2年は持つし、梅は何年でも保存できる。冬場の食材として重要なもののひとつです。昨年、柿の枝剪定をし過ぎたためになのか、今年の気候のせいなのか梅も柿も実付きが非常に悪かった。画像は12月初めに倉庫屋上から見下ろして撮影した。カラスやハクビシンの気持ちになれる。地上から見上げるばかりではわからない世界があった。この柿の木は6代目(父)が植えたものであり、かつて同じ場所には、5代目(祖父)が植えた杏の木があった。落ち葉は集めて腐葉土として再利用する。百姓と農家の違いのひとつでもある。

雪だいこん

新潟県で『雪大根』という文字が残る最古の資料はあるのだろうか…画像は我家の大正14年の売掛帳。12月19日雪大根2杷。納入先は「小花屋」である。

 

雪中の畑から掘り出してきた大根なのか、降雪直前に収獲し雪囲いした大根なのか、天気記録を調査することにより『雪大根』がどのような収獲状況の大根を指しているのかがハッキリさせることができる。もう一冊、昭和2年の売掛帳の雪大根の販売日の積雪記録と比較することで明確になる。

 

近年『食大根・くいだいこん』と呼ばれることが少なくなってきたのは流通の発達で通年、生鮮食品が買えるようになったためでしょう。食大根は各家庭で冬の積雪期に生鮮野菜として保存する大根を言います。降雪前の大根をムシロやワラ・籾殻など、各家庭でそれぞれの保存方法で雪の下になるように冬季保存する大根を言います。『漬け大根』と呼ばれる呼び方は現在も一般的に使われています。

 

本日の気温は4℃ほど。明日は大雪の予報であり根雪になりそうな気配なので最後の収獲に出ました。降雪期の手袋はこれが一番、靴下のほかにネオプレーンソックスを履いて防寒してます。

 

低温で大根は折れやすくなっています。土が締まっているので前後左右にクルクル回すように引き抜きます。

 

雪がザラめいていなければ大根を雪に軽く擦り付けて軽く土を拭きます。

 

畝間には雪と水が溜まっているので、大根の表面を傷つけないように洗ってしまいます。

 

仕上げ洗いは帰宅してから水温13度前後の井戸水でします。

 

余分な葉を手で落として、片手に5本ずつ持って車に運びます。例年であれば9月10日頃に播けばもっと大きくなっているはずですが、今年はとても小さい。200本ほどの収獲です。

 

大根を食べて穴を開けて、その穴で冬眠するカタツムリ。タヌキの足跡がそこらじゅうにありました。雪が降ると食料が減るのは雪国の生き物の宿命です。淘汰され強いものだけが春の陽を見ることができます。

日本一のナス博士

種から収獲までの作業を農家と同じく何十年も鍬を振るい調査研究してきた専門家で大阪の森下博士がおられます。平成26年8月に中島巾着と梨ナスの歴史を知るために長岡農協営農課にお願いして、梨ナスの故郷「泉州水ナス」に詳しい方を調べてもらい、紹介されたのが森下博士でした。同年8月26日に自宅へお伺いして丸1日、水ナスについて丁寧に教えていただいて以来、交流させていただいてます。

平成27年に長岡へ来られた際に、博士が趣味で製作されているスプーンとフォークをいただきました。その時には印がありませんでしたが、今年7月に大阪へ行った際にいただいたものには焼印が押してあり完成度が増して高級感がでました。冷たいものを食べる時にはこのスプーンを使い、漬物を食べる時は二又楊枝を使っています。博士の人柄が伝わってくる手作りの品を使って食べる中島巾着と梨ナスは格別です。画像はアイスを食べる時に使っているスプーン。

カマキリの積雪予報

昨日片付けた支柱です。本日は積雪5センチ程度で風があり寒い日でした。

 

今期、カマキリの卵を発見したのはこれだけです。カマキリの卵が付いたイボ竹の太さは16ミリです。地中に25センチ~30センチ突き刺していたので、卵の位置は地上15センチ~20センチほどです。

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虫の予知能力を信じないわけではありませんが、カマキリの卵が産み付けられた高さで積雪量を予測するというのは、俺の経験から考えて無理があります。天気管という気象予報具を興味本位で購入して観察してきましたが、まだその真偽が納得できない頃にブログに画像をのせたところ、海外の方から「それはオカルトのたぐいです」とメールがありました。あれから毎日観察をつづけたところ温度変化で樟脳が結晶化するだけとの結論に達しました。自然現象と科学・化学を自身で確認することは面白いものです。

冬のナス畑です

今期一番の寒気が本日夕方から3日間居座り、長岡でも1日で30センチの積雪予報が出たので、台風で水没した大根と白菜で自家消費できそうなものを畑で探しました。本日の記録を入力中に風速15メートル以上の冷たい風に雪が混じり始めています。

信濃川左岸、梨ナス・水ナスの畑です。画像右奥の畑が長岡で巾着ナスを始めて栽培した中島百姓の小川さんの畑です。

支柱は中身が軟鉄パイプで外周がビニールで覆われている9ミリのイボ竹なので、雪の重さで曲がってしまいます。畝間のФ22パイプはそのままにしてイボ竹のみ回収しました。

 

黒系梨ナスも萎びていますが、中は成熟した種が残ってます。

 

 

我家の梨ナス畑の隣は中島の百姓のお1人、長谷川さんの大根畑です。今年9月10日前後に播いた大根ですが、例年に比べてとても小さくて出荷できない状態です。これは我家も同じであり、例年の気候であれば9月15日までに播いた大根であれば「たくあん漬け」に丁度良い大きさになっているはずです。今年は春から気温が低く1年を通して天候が芳しくなかった証明です。畑に水が溜まるのは信濃川が増水して1メートル以上の水没した際に水の重さで土が締まったためです。

 

信濃川右岸中島地区内、午後5時の画像です。人間の目で見るとこんな感じで作業しています。気温は5度程度でしょうか、風は西風でありとても強いです。

 

一定期間成長した大根に限って水没した大根は輪切りにすると地中部分も含めて導管部分が変色している場合が多く出荷できません。運搬車に載っている大根は全て自家消費になります。信濃川の百姓が背負う苦楽の「苦」の部分ですが、父母を含めて先祖が皆、それを受け入れて「楽」の面も得ていたからこそ、それを後世に残し伝えたいのです。

農業と砥石の重要性

今年7月、関西大手の接着剤会社の社長さんと御縁があり、我が家のナスや枝豆などを購入していただきました。砥石に詳しい社長さんで、『砥石』談義になり何度か話したところ、10月に高価な砥石をいただきました。農作業に刃物の切れ味は効率を左右する課題です。使いやすい刃物であることはもちろんのこと、切れ味の回復は刃物の価格に関係なく重要です。

良い道具は仕事を楽しくさせてくれます。砥当たりの良い刃物は良く切れるのです。

天然砥石ですので和刃物(打ち刃物)の研ぎに使います。ステンレスの刃物にはダイヤモンドシャープナーを使用しています。農業刃物には鍬・鎌・包丁(ナイフ)・鉈・ハサミなどがあります。鍬は刃物でないと思っている人がいますが、鍬というのは刃先に鋼を使用しており、土を切るのです。土というのは微細な石ですので鍬や鎌などはすぐに刃先が鈍ってしまいますので、道具の良し悪し刃物の製造技術の差がすぐに判別できます。農業用の刃物は通常の刃物よりも長く切れることが重要であり、自分で研げなくてはなりません。

新潟県の伝統料理・のっぺ

昨日、1日中薪割りの外仕事で体が冷え切っていたので、妻が今シーズン初の『のっぺ』を作ってくれました。

『のっぺ』は、地区や家々で具材と味が違います。

幼い頃や子供の頃は美味しいと思わなかった『のっぺ』でしたが、年齢を重ねる度に旨さを感じるようになりました。南北に長い新潟県ですが、地域・家によって味付けも具材も違います。我家の具材は…先ず自家生産の具材から書きますと、里芋・人参・ギンナン。購入具材は、コンニャク・かまぼこ・ちくわ・椎茸(乾燥戻しは香り高く、生椎茸は食感が良い)・蓮根・鰹節。時により、ミツバ・柚子を添えます。とろみをつけるために片栗粉を少量入れることもあります。味付けは醤油で野菜の風味が判る範囲で薄味仕上げにします。我家では『のっぺ』に餅を入れて雑煮にすることもあります。

 

雪国の天気と百姓

11月に入って風邪で寝込む日がトータル1週間以上ありました。直りかけで畑仕事を繰り返したので悪くなる…の繰り返しでしたが、数日前から咳とダルさは消えました。天気の良い日は畑に出たいですが、芋類の貯蔵庫を兼ねた作業場の暖房に薪の調達をするために連日流木の伐採作業と薪割り作業です。

昨日12月9日の午後2時頃です。

子供の頃、この場所は川原石がごろごろしていました。俺が生まれるずっと以前から信濃川の氾濫で、川の下になったり川原になったり土がついて畑になったりを繰り返していたそうです。このソフトボール場は中島の百姓で元市会議員の故・渡邊綱吉さんが「地区の人達にスポーツして欲しいから」と寄付した場所です。

上流の大手大橋

逆光ですが冬の低い太陽光線が川面にキラキラ反射する光景は、目から暖かさを感じます。野菜もそうですが植物が話すことができたら、太陽を浴びている時の感じは俺と同じことを言うかもしれません。

鮎や鮭が遡上する大河のすぐそばで生きることができる幸せ。

父母が若く、俺が4歳頃まで木の川船で対岸の畑まで行き来していました。現在もその船の櫂が残っています。大昔、この川が流通の要でした。

橋の向こうに米山が見えます。

ガスや石炭・電気が一般的に普及するまでは、この風景を見ながら流木集めをする庶民が大勢いたそうです。この信濃川の氾濫があったから巾着ナスと梨ナスが中島で生産されるようになり、長岡全体に広がったのです。

ナス種の選抜について

昨日夕方、ミゾレ交じりの雨の中をチェーンソーで薪伐りを終えた頃から雪に変わり、今朝は気温0度積雪10cm程度でした。昨日の天気予報で大雪予報が出たので、昨日は信濃川増水後の左岸農道が泥道のままなのでトラックがスタックして脱出できない場合、トラクターで牽引するために畑に置いたままにしていた13馬力のヤンマートラクターを回収し、大根収獲用に畑に置いていた運搬車を回収したりで体は冷え切り、帰宅後に入浴食事後は疲れで寝てしまった。

今期、ナスの生育は長岡市においても新潟市においても不作だった。植え付け前から低温であるのを小田切さんと話していたのだが、シーズン通して低温の影響が顕著であった。

今年一番期待していた選抜種。

例年通りであれば、選抜した中島巾着(土田系)の性質が他の土田系・米重種店の小林六郎系(平成25年採種)・県保存の米三種苗の丸山系(昭和62年保存)と比較できたのだが、今年の天候では比較することができなかった。自根であることが採種条件であるので今期のような年は早期のうちに褐紋病が蔓延してしまったことも採種断念の要因のひとつである。ただし、全てのナスが枯れた後に黄色く成熟した特徴を備えた形の良い種実は、もしもの時のために採っておいたが余程のことがない限りは播種することはない。来年は今年と同じ種を同量播種して比較調査のやり直しである。梨ナスを含む水ナス系の比較調査は悪条件のなかではあったが、非常に興味深い面白い結果が出た。この結果を見ることができたのはひとえに米三種苗の鳥越さんのおかげである。

チェーンソーを心行くまで使いたい人いませんか?

午前中は昨日の薪をトラックから降ろす作業。午後からは曇天ながらも降らないので農道入り口の大きな流木切断に取り掛かりました。信濃川の洪水は余計な仕事を増やしてくれます。俺が「信濃川と共に生きる百姓」を自認し再認識する一番の時です。

手前の流木は中間付近の幹太さ18センチほど。

下流に向かって見た農道。木の電信柱までありますが、切断するとタールの臭いが漂いますので薪にはできません。都会の人のブログで「チェーンソーで思いっきり木を切ってストレスを発散させたいのでチェーンソーを買ったのですが、木を切る場所がない」と嘆いているのを見たことがあります。もしそんな風変わりな人がいらしたら遠慮なく俺に連絡ください。旅費と宿代は出ませんが食事は提供します。

クルミ・ニセアカシア・柳が主です。

枯木ですが吸水しているので重いです。ニセアカシアは適度に油分を含み、繊維が締まっているので乾燥しても重く、切断するときも割るときも時間と労力はクルミの倍以上掛かりますが、火力・火持ちともに最高の木です。柳は水っぽくスカスカなうえに生木は1年経っても新芽が吹いてしまうことがあります。

農道から上流を見る。農道の左側に今期の中島巾着圃場があります。

大きな流木は年内に切断してしまう予定です。来春にミニショベルを使って開通させます。俺が生まれた昭和37年、祖父、真十朗の日記にはこんな一文があります。「川から流れてきた珍しい木を製材してもらったら一万円以上で売れた」とのこと、当時の初任給は、ひと月2~2.5万くらいです。本日の薪は1.25トントラック積載量目一杯です。

小さいときにNHKの工作番組わくわくさんが大好きだった子供が描いた蜜柑の顔。

何気なく食べている蜜柑ですが、会ったこともない百姓仲間が栽培していると思うと、ただ食べるだけでは申し訳ない気がするのです。出荷する際に1個だけこんな顔の蜜柑が箱に入ってたら楽しいと思います。